今日から4月がはじまり
ますね〜

自分の時のことを想い出します


3月1日に高校を卒業後
4月1日の入社式の間の
1ヶ月間ひたすら実家にて


多分まだ牛を飼っていたから
お世話したり農作業を手伝っ
ていたのではないかなあ〜


全く記憶がないです


多分自分にとって楽しく
嬉しいことではないから
覚えてないのかなあ?

そしたら?


息子の最期のすがたは?


なんであんなに鮮明に
覚えとるだあ


もうどんなに忘れようとしても
無理なものはムリだからこの
記憶と共になーんとか生きる


わい


そして入社式の話し


縫製する人自分いれて5人
事務職5人の計10人の
入社でした



そのなかで縫製組はわたし
以外の人たちみんな退職
しました



あの頃はまだ寿退社がほとんど
だったかもしれません



同期の子たちはいつもミシンを
踏んでカッターシャツを縫う
ことに文句を言ってて結婚して
会社を辞めたいって
言ってたなぁ



埃やけたたましい機械の音の
する冷房の全然ない工場が
辛くて


ま〜〜たしかにあの頃工場用
大型扇風機が設置してあった


記憶が



冷暖房が設置されたのは
いつからだろう?



汗水流し働くとはこう
いうことを言うのだわ



うちなんか自慢するよ



子どもの頃から辛くて汚い
農作業をしたおかげでそん
じゃそこらのか弱い男なんか
に負けない



強いカラダと心がつくれた
んだからね〜〜



な〜んて自慢しとると
実家の両親がなにやら
言ってきたがん



なんかわたしに言いたい
ことがあるん?



両親から自分へ




昭和42年4月1日に結婚式を
挙げよく年お前たち双子が産まれ
てきたんだぞ



わたしから両親へ



そうでしたね



貴方たち両親は4月1日
が結婚記念日でした



嘘をついてもいい日に
結婚式を挙げるなんて



貴方たち夫婦は冗談


顔だけにして夫婦だあ



なんて昔から皮肉まじり
揶揄いをしてごめんなさい


いまは?



私たち双子をこの世に
おくって下さったことに
感謝いたします



富山の心の友さんの親孝行を
見習ってどこか行こかいを
開催できたらよいなあ



また口だけ番長にならん
やにせんといけんわい




親のすることは子ども
はちゃんと見とるけん