この文章は2019年

5月31日にかいた

ものです




自死遺族になった私は

ブログを通して様々な



言葉に共感したり励まされ

たり、そして支えて頂き

ました




そんなある日


同じ自死遺族の男の方の
ブログを読みました



私は最初なにを思ったか
このブログは女の方が書いて
おられる


そう思っていました



読み進めていくと?

そこには怒り💢💢💢マーク
全開の文面がとびこんで
きました


えーーー⁉️




この方は男の
人だったんだ

私の中ではブログを綴る
のは女の人だけという

すごい思い込みがありました



今でも思い込みがありすぎ
て毎日反省の日々です



その方のブログはただ自死に
ついてご自分が思った事を
淡々と自分の言葉で書いて
おられるなあ

わたしのこころにいつも深く
響いてくる言葉の数々でした

わたしは何回もその方のブログ
にコメントを書いてしまいました

その節はありがとうございます

あなたへのコメントの返信は
ありきたりのわたしへの励まし
の文章ではなく間違った考え
の時にはその考えは違うと思う
とはっきり言って下さいました

ひとつひとつの文章はわたしの
こころに全部入っています

わたしは優しく励まして
下さるブロ友さんに感謝
しています

こうやって叱咤激励?のコメント
だったりメッセージを下さる方々
も大事な大切な方々に違いは
ないと思っています

わたしは本当にあなたのブログ
に救われたひとりです

たかがネットごときに何を熱く
なってるのかと思われたブロガー
さんも中にはいらっしゃい
ましたがね

わたしの書いたブログは誰かに
そんなふうに思ってもらえる
ブログだったかなあ?

たしかに最初の頃は全部公開
記事にして息子の自死について
おきたことそれ以降の家族の
様子とくに姑に対する憎しみ
などを綴ってきました

三月の下旬息子の旅立ちを決行
した日が近づくにしたがって
わたしの気持ちは随分と堕ち
ていきました

一旦気持ちが上に向いてきて
このままこの調子でいけば
よいと思っていたのに

まさかの急降下

毎日眠れなくなりイライラして
職場でも同僚との罵りあい
利用者さまに対しても全然
優しくなれない自分がいました

もう何もかもイヤになり全部
放り投げて何処かわたしの事
を知らない所へ行きたい?

逝きたいのか?

逃げたい?

消えたいのか?

希死念慮?

とにかく訳の分からん感情が
出てきて自分で自分を抑える
ことが出来なくなりました

そんな時心友からメッセージ
が届きました

わたしは我に返りました

息子も

もしかしたらこんな気持ち
だったのかなあ?

誰にでも逃げたい何にも考え
たくない感情があるんだ
わたしにもあったんだ

人には強きな発言をしてわたし
は大丈夫って強がっていただけ
なんだと

少し前に次女に言われた言葉
があります

お母さんはお兄ちゃんが亡くな
って自分がいちばんお兄ちゃん
のことを哀しんでると思ってる
けどわたしだって哀しいよ

お母さんはお兄ちゃんをお腹
痛めて産んではじめての子ども
だけんいちばん好きで

それは分かるよ

けどお姉ちゃんもわたしも
まだ生きてるよ

わたし達のことは大切
じゃないの?
 
お兄ちゃんのかわりにはなれない
けどお母さんと一緒にお兄ちゃん
の事をいつまでも忘れずにこれから
も想い続けていくことは出来るよ
と言いました

次女の言葉を聞いてわたしは
自分自身をもう一度ふりかえ
ってみました

わたしは嫁ぎ先の息子の最期
の場所屋根裏を見るのがつらく
て一人でアパートに移り住んだ
けど次女はずっと姑のとなりの
部屋に住んでたなあ

大好きなおじいちゃんの側から
離れたくないからとわたしに
ついて家を出なかったっけ

わたしは一人で踏ん張って
自分ひとりのチカラだけで
この二年間を生きてきたけど

わたしの周りのたくさんの
人たちに支えてもらった
二年間だったんだと改めて
気付かされました

次女がいちばん大人の考え
をしていますね
わたしは次女にとって母親
ですけど次女の言葉に考え
させられました

そうですね

母親だけが哀しいのではない
それぞれ立場は違えども大切
な大事な方々を亡くした気持ち
はみなさん同じだと思える
自分がいます

息子と共に生きた25年間

最期は哀しい結果だったけれど
それでも振り返れば嬉しいこと
楽しいこと 喜ばしいこと

表現できないくらい様々な
出来事もあったはず

まだやっと二年経ったわたしです
無事三回忌が終わり次の目標を
見失っていました

けど目標なんてなくてもいい
今はゆっくり感情に逆らわず
ゆっくりゆったりと一日
一日を大事に過ごしていく

それだけでじゅうぶん