荒井左京(?~?)

 荒井万五郎盛次。会津の戦国大名葦名氏の家臣でしたが、天正十七年(一五八九)の摺上原の戦いで伊達氏に敗れた蘆名氏は滅亡。荒井盛次は伊達政宗の家臣となりました。慶長十九年(一六一四)の大坂冬の陣の後、伊達政宗のの子、伊達秀宗が伊予宇和島藩の初代藩主となった折には、関勘兵衛と共に護衛としてついたと言います。『北会津村誌 』によりますと「上荒井村館跡」(現、福島県大沼郡会津美里町荒井)は、荒井万五郎某、或いは荒井左京助の館跡だと伝えます。

 

「伊達政宗大坂夏の陣陣立書」荒井左京部分

 本資料にある荒井左京は、荒井万五郎盛次と思われますので、 盛次の受領名が「左京助」で、上荒井村館跡の主の荒井万五郎・荒井左京は同一人物ということになりますね。