「伊達政宗大坂夏の陣陣立書」を入手しました。細かいことは抜きにして大雑把に言いますと、合戦時にそれぞれの武将たちをどのように配置するのか、そしてその兵力(兵士の人数と、武器の種類や数)はどれだけなのかを、当該武将たちに指示する、作戦指令書が陣立書です。例えば、この資料では、先鋒の中央に、騎馬兵士六十騎、鉄砲三百挺、弓百挺、鑓百挺を擁したに伊達政宗の重臣、片倉小一郎を配しています。詳しくは、追々このブログで番外編としてアップしていきます。

えー。まじで江戸時代初期のものなの?って思っていませんか?

◆この資料が大坂夏の陣の同時代資料である理由

1 陣立書の右上隅にタテ8mm、ヨコ11mm程の切封の根本が残存していること。

 伊達政宗陣営が戦いを前にして、どのような陣形で、誰をどこに配置するのか、武器は何を用いるのかを決定し、陣立書が作成されます。それを数通作成し、主だった家臣に周知する際、切封にして配達し、それぞれの武将の役割を指示したのでしょう。切封の痕跡は、この資料が後世に作成され、後世の武士たちが戦術学習をするために用いた教材では無いことを物語っています。

 

2 全体のサイズが、タテ667mm、ヨコ270mm程であり、コンパクトであること。

 もし本資料が、後世の武士たちが戦術学習をするためのテキストであるならば、一度に多くの武士たちに講義できるよう、もっと大判のものを作成したはずで、陣立書にタイトルなどを表記していたでしょう。例えば「伊達政宗大坂陣之陣立」なんて。敵方に奪われないように戦いの前線に持ち込むには、コンパクトである必要があります。

 

3 それぞれの家臣たちの名前が割と正確に記されている。

 後世に作成されたものにありがちなのが、人名の不正確な理解や誤記によって、人名に違和感を感じるものになる、ということがあります。しかし本資料の人名にほぼ間違いはありません。例えば、「伊東肥前」のことを「伊藤肥前」と書いていますが、この程度の記載違いは、この時代では普通にありますし、「違い」のうちに入りません。