10月21日
ここ三日間、金曜土曜日曜と、クリスチャンの祭典的なイベントである、フォールカンファレンスに参加して来ました。仲のいい日本人2人と参加したこともあり、とても楽しめました。
ただ、日本人3人で夜にバーで話していたのは「改宗するってすごい難しいし、日本人にはなおさら厳しいよね。」ってことでした。僕たちは改宗するためではなく、勉強のために参加していますが、感心するとともに驚かされることもたくさんあります。
例えば、一人一人話してみるとみんな穏やかで、とっても優しい雰囲気なのですが、宗教の質問に対しては真剣な眼差しでしっかりと答えてくれます。例えば、キリスト教ではThe best is yet to come (最高の瞬間はまだ来ていない)という考えで日頃の困難を乗り越えて行きます。例えば、「もうやんなっちゃって、生きている意味あるのかしら。」と考え込んでしまうような時でも、「でも最高の瞬間はまだ来ていないから、頑張ってみようかな。」とポジティブに考えられるのです。こう聞くと、やはり宗教の力はすごいなと思います。例えば、ロシアに続いて自殺大国の日本でも、こんな考えが広まれば、思いとどまる人もいるかもしれませんよね。
ただ、僕がこの三日間でどうしても腑に落ちなかったのは、「じゃあそのベストは後にやってくるとして、ベストって何?最高の瞬間っていつ?」という問題です。日本人だったら、「そんなの人によって違うだろう。」と考えるかもしれません。でも、キリスト教信者はこの質問にほとんどみんなが二種類の回答を口を揃えて言います。その2つは
1、「魂がキリストと一体になる時。」
2、「キリストが復活するとき。」
1は、つまり体が滅びて天国に行く時です。キリスト教では魂が神とともにあれば天国に行けるとされているので、この瞬間に全てが報われるんだそうです。日本人からすると、死ぬ時が最高なんて、少し悲しいような。もちろん、キリスト教では自殺はこの死に含まれません。
2は、まだキリスト教の人はイエス様が生き返ると信じているんです。新約聖書では、キリストが死んだ3日目に生き返る話が有名ですが、そのキリストはまた私たちの前に現れると強く信じているんです。人間の欲望や悪は全て旧約聖書のアダムとイヴから始まり、キリストの処刑を持って悪はなくなったとされています。しかし、まだ当然のように悪いことが蔓延る世界では、キリスト教信者たちが自分たちの罪を償おうと必死でお祈りをするんです。だから、いつか復活して、神は人類を許してくれると。
こんなにたくさん勉強しても、というかすればするほど、日本人は信者にはなれないと確信させられます。だって、日本で「最高の瞬間は?」と聞いたら、「結婚したときかな。」「受験に受かったとき。」「孫が生まれたとき。」と十人十色違った答えが返ってくるはずです。そして、僕は絶対的にそっちの方が素敵だなと思ってしまうんです。キリスト教がダメとかを言っているのではなく、このことは僕が日本人であることを証明すると思うんです。
そして僕がクリスチャン(既婚)の友達に「結婚は最高の瞬間ではないの?」と聞くと"Wedding is just a glimpse of glory." (最高の瞬間のたった一部にしかすぎないよ。)と答えるんです。今をせっかく生きていて、愛する人と結婚できてもなお、神が復活しない限り最高とは言えないんだと。
まあ、世の中にはいろんな宗教があって、いろんな人がいて。信じる信じないは人に迷惑をかけることではないので自由でいいと思います。ただ、僕が最近思うのは、全員がちゃんといろんな宗教を勉強するべきだと強く感じます。これはアメリカにきてから思ったことです。
僕の仲のいい友達は豚には体に悪い虫が住んでいて、その虫は調理しても死なないと考えているので、豚は食べません。だからパーティーをするときも気をつけます。朝6時から7時の間に一回。そのほかを含め一日計5回のお祈りをします。お祈り中の表情はいつもの友達というより、敬虔なムスリム(イスラム教徒信者)です。もちろん宗教などは関係なく親友の1人ですが、本当の友達なら宗教のことも知らなければなりません。日本では「宗教=カルト的」という図式が強く根付いていますが、日本ではキリスト教のクリスマスを祝って、年末のは仏教のお寺に行き、年始には神道の神社で初詣をします。海外から見たらこっちの方がよっぽど珍しいです。
僕は来学期に友達と仏教の授業を取ろうと考えていますが、宗教を知らないと、本当にその人のことは知ったことにならないということを痛感した三日間でした。ただ、何教だろうが、友達って最高です。
P.S. 水着買ってプール通い始めました。最近痩せて来た。