現代の社会はさまざまな問題を抱えている。
物価の値上がり、格差社会、成果主義、環境破壊問題、戦争、殺人、犯罪、テロ、非行、ニートやフリーターで悩む親御さん、うつ病患者の増加など、右を見ても左を見ても、世の中の廃れは増す一方である。
科学技術の進歩や情報の豊かさは我々を便利にしたが、その反面、人間は楽を考え、悪用を企み、騙し騙されの世の中となってしまった。
我々が生きる世界は今、危機に瀕しているのである。
ストレスを抱えて悩み、自殺や鬱病院患者が多いのも、慌しい世の中と化し、心の安らぎがないからだ。
今日の日本での国語辞典の「自由」の意味は、「他から強制や命令をうけることなく、自分の思い通りにできること」と記されている。
「自由」をこのまま受け止めたならば、「好き勝手にやりたい放題にしてもよい」ということになってしまう。だが、それでは国は纏まらない。
今の日本人に欠けているものはモラル、つまり、道徳、倫理の欠如なのである。
自分さえよければそれでよい、という考え方をする人が多く、もはや心で繋がり合える世の中ではない。
人はこの世に命を受け、さまざまな経験を通じて「一個人」という人間が完成するが、重要となるのは人との縁であろう。
縁と一言に言っても、良い縁と悪い縁とがある。良い縁とは自分にとってプラスとなるもので、悪い縁とは自分にとってマイナスとなるものだ。
仏教では「因縁」という言葉がよく使われる。因縁と聞くと、悪いイメージがあるが、実はそうではない。
運命とは、文字通り、「命を運ぶ」と書くことから、自分で自分の命を運ぶのである。
故に、運命は本人次第で良くも悪くも変わるものなのである。
良い種を蒔くと、良い花が咲く。悪い種を蒔くと悪業となり。
種を蒔き、花が咲くまでの過程を見てみよう。水が無ければ花は枯れてしまう。太陽が無ければ光合成はできない。
つまり、土は土台となり、水や太陽は栄養となり、その結果、美しい花が咲くのである。
人間も同じなのだ。誰しもが皆、善い種を持っている。住む環境や人との出逢い、また経験によって、人それぞれ異なった「一個人」という人間が完成するのである。
「因果応報」という四字熟語があるが、これは原因があり、その原因の結果、自分に対して報いがある、という言葉である。
ここで重要となるのは、原因と結果の中間である。つまり、縁が大切だ、というわけだ。
人間は元来、何にも染まらず、何の経験もなされていない、真っ白で何ら心に垢も穢れも付着していない清廉潔白な状態で産まれる。
成長するにつれて、少しずつ、心には「色」が付いていくのである。
その中でも、人との出逢い、つまり、縁は人の人生を左右する、と言っても過言ではないのである。
そもそも「因果」とは、「因縁果」と言うことができる。
「因」つまり、原因は過去に起こるもので、「縁」という自分が置かれた環境や人との出逢いは現在に起こるものなのである。
そして、「果」とは過去と現在に於ける「自分の行い」の結果であり、未来を表している。
つまり、「因果」の中間にある「縁」こそが、自分の未来を創る、と言っても過言ではないであろう。
このように、「過去」と「未来」は両方ともに「現在」という時間の中で今の自分に反映されているのである。
「過去」も「未来」も今現在、ここに存在する。否、我々の心の中に組み込まれているのである。
本書は、仏教を基軸として、人間の生き方、人生道をあらゆる角度から考察したいと思う。
そして、「自分」という存在を客観的に見つめ直し、何かに気づき、本来の自己の心の奥底に眠っている未だ目覚めていない素直な心で、自己の存在意義を省みて頂ければ幸いである。
人間は気づきと反省をなくしては何らの進歩もないだろう。
そして、自分なりの生き方、人生道、思想、人生哲学を考察して頂きたい。