書こうか否か迷いました。
が、少なからず読者登録して下さった方がいて、ずっと読んで下さっていた方がいて、コメントでやり取りさせていただいた方がいて…
黙ったままフェイドアウトはやはり…と思い、記事を書いている次第です。
昨日、会見を拝聴いたしました。
劇団の会見もご遺族の会見も。
今朝、目が覚めて「昨日の劇団の会見が夢であったら良かったのに」と思いました。
怒り?失望?虚無感?…そんな簡単な言葉では言い表せません。
主人と二人、本当に肩を落としました。
肩を落とした…それが一番当てはまる感情かもしれません。
ご遺族はあの会見をどんな気持ちでご覧になられたのか。
それを考えただけで息が出来ないほど苦しくなります。
幼い頃から足掛け何十年も宝塚歌劇を観てきました。
特殊な世界で世間一般の常識と照らし合わせでよろしくない事が大いにある事も大人になってからはわかってはいました。
それでも宝塚歌劇というコンテンツの素晴らしさに熱したり冷めたりしながらも長年ファンを続けていました。
けれどもうここまできたら、残念ながら私はひとかけらも宝塚歌劇団に夢を見ることは出来ません。
改革案なるものを出しておられましたが、それは実のところ今回の問題の第二ステップではないかと思うのです。
ご遺族の方はただただお嬢様の無念の死に真摯に寄り添って欲しかっただけではないのでしょうか。
改革案より何より…。
改革案はまずは彼女の死に寄り添った上で成り立つものなのだと思います。
少なくとも昨日の会見を拝聴して、劇団は彼女の非業の死に寄り添う気持ちはないのだと私は思わざるを得ませんでした。
あまりに残念です。
色々なお考えの方がいらっしゃるでしょう。
私は私以外の方のファンとしての在り方に物申すつもりもなければ、そんな権利もありません。
本当に人それぞれだと思いますし、個々人が思うようにすべきだと思います。
しかし…
私はもう終わりかなと思います。
私の宝塚歌劇に対する気持ちが…です。
いつかまた宝塚を見る日が来るでしょうか。
宝塚が真の意味で変わる日が来るでしょうか。
今、何を望むか…
どうか故人の思いに、ご遺族の思いに寄り添ってほしい。
ただそれだけです。
私は常々、誰かの不幸の上に成り立つ幸せはないと考えています。
たとえ一見、幸せに見えてもそれは絶対に違うと思います。
これまで拙ブログをお読みいただき、そしてブログを通して仲良くしていただきました皆様。
本当にありがとうございました。
時にプライベートの愚痴など聞いていただき、どれほど救われたかわかりません。
読者様におかれましては、これからも宝塚歌劇を観劇し続けられる方が大半だと思います。
どうか皆様のファン生活が心穏やかで良きものでありますようお祈り申し上げます。
最後に…
わずか25年の人生を失意のうちに閉じるしかなかった故人と愛するお嬢様をこの様な形で亡くされたご遺族の皆様に今一度、心からのお悔やみを申し上げます。
どうか失意のうちに空に逝ってしまった彼女に届いてほしい。
あなたの死に涙を流し、あなたの無念に心を痛め、あなたの死を心から悼み、夢なら覚めてほしい、戻ってきてほしいと思っている人はいるのだと。
せめて空の上ではあなたの魂が安らかでありますように。