こんにちは、皆さん。神門です。

 

 先回、神道についての本来の概略を申し上げましたが、原初の神道は仏法公伝後、既存の一族氏族民衆に伝わる呪術的なナニかを総称して云ったもので、言い換えれば神道は我が国固有の信仰形態の主幹として、日本の歴史とともに連綿と受け継がれてきた日本人の心ともいうべきモノです。…と云う大義名分のもと、最近ではこの原初神道(太古神道)を指して「古神道」と云っているようなのですけれども。

 



 「古神道」は一旦置いておいて、更に神道の暦史を纏めて眺めてみたいと思います。

 神道の歴史は日本の歴史に等しく、同時に日本宗教史の太宗でもあります。ただ、神道史と区分した時には、日本宗教史のなかでは特殊な分類とする事に多くの批判は無いでしょう。それは、先に述べた通り、神道の発生と形態に著しく宗教と言い難い部分を包括しているからであり、それが神道を理解し難くしている原因でもあります。(現実、皆さんが宗教としてイメージする形で、神道が宗教を正式に名乗るのは、第二次世界大戦後、宗教法人法が成立し、既存の神社各々を宗教法人として登録されてから、くらいの認識で問題ないかと思います。)

 なお本稿纏める為に、「神道思想史」として國學院大學教授の安津素彦先生の著述に多くの参考を得ました。ここに恩師の業績を讃え、顕彰の念に堪えないことを一言追記しておきます。



 神道史上の区分分けは、前述の安津素彦先生の「神道思想史」に準拠して、以下の如くに分けていきます。

    第一期    原初信仰時代
    第二期    神道仏教関係時代
    第三期 教学(学派)神道の成立と展開の時代
    第四期 国家神道と教派神道の成立と発展の時代
    第五期 神社の宗教化と新教派神道の成立時代


 以上の五期は、実際には一期ずつ終わってから、次の期にはいるのではなく、そのまま連続して存続しているところに、神道の理解し難いところがあります。

 すなわち、第一期の次は第二期では無く、第一期+第二期です。つねに、一つ前の期の名残を残しつつ包括して変化しているという風に考えて欲しいのです。現在は第六期とも云える新しい時代に入っているかも知れませんが、第一期~第五期までのそれぞれのなごりを包括している点には変わりありません。

 つまり、その中からどの期を取り出してみても、現在の神道の一面を担っているということを理解しておいて下さい。

 その上で、歴史的な推移と神道の現在の状況をおおまかに表にすれば以下のとおりになります。





 神道の最初の形はやはり祈りに他なりません。その為に祭祀に重きを置いたことは今でもほとんど変わっていません。平安鎌倉と時代を経て、仏法が教義教典をまとめつつ仏教と成って行くに呼応するように、神道側にも、教法に重きを置く形に変わっていきました。

 表には、書き込んでありませんが、習合神道はいわゆる仏教その他からのアプローチで、両部神道や山王一実神道、その他にも入りますが法華神道、土御門神道(天社土御門神道)などを云います。

 復古神道とは、契沖等に始まるいわゆる国学者と呼ばれる人々が提唱した神道学説で、本居神道、平田神道等を云います。

 一番時代もカテゴリーも煩雑としているのが、家説神道(諸家神道)と呼ばれる物で、儒教に影響を受けた伊勢神道(度会神道)や吉田神道と吉川神道、古代氏族の伝えるという出雲神道、物部神道、忌部神道、橘家神道、また吉田神道のあおりを受けて仏法に対する神道の発生に似た伯家神道、その他にも雲伝神道、賀茂(烏伝)神道、川面神道、筧神道等々を云います。

 

 教派神道等は明治になってからの神道です。
 

 神道の解りにくい点は、教祖教主を持たず教典も無く、慣例的な様式が儀礼祭祀に属しているだけで宗教とされている点です。

 あまりにも煩雑としていて、秩序的に形式化された物が無く混沌としていてつかみどころのない感があります。

 ただ逆に考えれば既存の形骸化された似非実践術理とは一線を画し、太古の純粋な術理や術式を復活実践化しやすい点で、我々の興味の対象として宝箱のような物ですが、その部分はかなり闇が深いとしか云いようのない場面もあり、スピリチャルが迷信化する一端を担ってもいます。