救いの本「抱きしめてあげて」 | りーふぁの何やかんや。

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 その後のイヤイヤKくんですが、日に1、2度、だいたい朝か夜のどっちかでイヤイヤが出ます。

 でも先日のようなエンドレスイヤイヤにはなりません。話を聞いてやり、しばらく一緒にいると落ち着いてくれます。不思議なもんですね。


 例えば今日はマンションの駐輪場で自転車を止めるところで、歩いて道草くってるKくんを横目にワタシが自転車を止めただけで「いっしょに がっちゃん するんだったのにー!」と言って怒りました。

 やれやれ、ですが、こういうときは話を聞いてやり、危ないこととかやるべきじゃないことでもないので、一緒にやり直します。

 でもこの間にワタシのちょっとしたイラッとした雰囲気を鋭く察知して、このときのグズリは少し長引きました。帰宅してもワタシに料理をさせず、一緒に「おさるのジョージ」のテレビを見ようと言うのです。ころあいをみて離れると、「こっちきて!」と怒ってワタシの手を引っ張っります。


 怒って、怒られて、その反動での甘え。Kくんの心の動きが何となく分かるようになってきたので(やっと?)、こういうときはもう一緒にいてやることにしています。

 そう思わせてくれて、今回のイヤイヤ騒動?の件で、ワタシを救ってくれたものの一つが、友達Mちゃん(2人の娘持ち)が教えてくれたこちらの本でした。


「抱きしめてあげてー育てなおしの心育て」(太陽出版)。(アマゾンでポチりました。定価¥1400ですが、新中古本を送料込¥900で購入)

 カバーイラストがいわさきちひろさんというのも、ちょっとツボ。すてきな巡り合わせでした。

 これは慶應義塾大学医学部小児科学専任講師の渡辺久子さんという方が書いた本で、育児書というと「そう言われりゃそうなんだけどー」という印象が強そうで全然持ってなかったのですが、これは買ってよかったです。心にストンストンと落ちる、珠玉の言葉たちがいっぱいです。


 全般的にいえるのは、「泣くこと、それは負の感情を肥やしに変えることだ」みたいな話です。

 泣いていいんだ、泣いて当然、それが子どもの自浄作用であり、肥やしになるんだ、と。


 そういうことって、まぁ言われがちなことでもありますよね。だけど、この本を読むと「ああ、そういう心の動きがあるんだ」みたいな納得がいくのです。

 例えば、1歳半から3歳にかけての「第一反抗期」「自我の芽生えの時期」について。


 この時期の子どもは急に「いやだ」を連発し、嫌なことを押しつけられれば身をかたくして反発し、やりたいことをどこまでもやりとおそうとします。(あるある!)


 よく耕された土からは元気のよい芽が出るように、生まれてからこまでの日々を温かく包まれて過ごした子どもほど、自分という意識の芽生えは強く、周囲の世界とのやりとりの手ごたえも生き生きとはっきりしてきます。(手ごたえ感じてるわけね)


 しかし、まだまだ動きは自分中心で一方的。自ら自分の感情の出し方をコントロールしたり、相手に分かりやすく自分を表現したりする器用さは発達していません。(なるほど、分かっているようで加減をまだまだ知らないんだー)


 という感じです。もうちょっと続けますと、


 むき出しの衝動をストレートにぶつけてくるこのころの子どもたちの心は、まるで暴れ馬のようです。(うーん、確かに)


 泣いているとき、叱られる代わりになぜ泣いているのか分かってもらい、かんしゃくを起こしているとき、何を訴えたかったのかしらと穏やかに受け止めてもらえると、子どもは自分の激しい衝動に振り落とされないでしっかりと自分と付き合ってくれる頼もしい存在があることを知り、どんな恐ろしいことがあっても大丈夫、という自信が見に付いていくのです。


 確かにかんしゃくが続くときって、衝動に振り落とされてる感じだもんなぁ。


 自分を理解してくれるお母さんに深い思慕と信頼を寄せるうちに、いつの間にかお母さんが自分をなだめ、慰め、励ましてくれたように、今度は自分自身で自分を慰め励ましていく、心の衝動の手綱さばきの力が芽生えてくるのです。


 この一節には胸を打たれました。言葉のチョイスが素晴らしいじゃないですか。

 おかげで、イヤイヤを落ち着かせることは、その場のものだけじゃないと気付きました(いや、知ってた気はするけど、身になってなかった)。ワタシがどう対処するかが、この子のこれからの心を育てるんだと知ったのです。

 だから、今はイヤイヤをおさめるときも、「はいはい、○○だったのね~」と言葉で処理するんじゃなくて、しっかりKくんと目を合わせ、心をこめて話をするようになった気がします。向き合えるようになったんですよね、たぶん。


 この時期に十分にやんちゃにありのままの感情をお母さんに出しきり、お母さんに温かく受け止めてもらうことが少ないと、子どもの心にはいつまでたっても不安定な激しい感情が存在し続け、幼児期を過ぎても心の中に幼児のような未熟な部分が残ります。


 分かりました。出しきってあげましょう。そしてワタシは温かく、穏やかに受け止めましょう。

 (たまに穏やかじゃないときもあるけど、それはそれで親子のコミュニケーションってことで)


 この中にはたくさんの子どもの例が出てきます。共感したのは、3歳半のDくん。


 近くの5歳の友達とよく遊んでいたのですが、最近その子に同い年の友達ができてしまいました。Dくんは必死で背伸びして2人の遊びについていこうとするけれど、無理のよう。

 すると、Dくんはお母さんにベタベタとまとわりつくようになり、2歳のころにお母さんとよくやっていたかくれんぼをするようになり、毎日繰り返しているうちに、やがて新しい友達を見つけて外で遊び始めました。


 「Kくんもこれじゃん!」って思いました。新しい保育園で必死に背伸びして、みんなに追いつこうと頑張って、でも家ではちょっとしたことでメソメソ、甘えん坊です。

 でも、「ただ一途に前進していくことが心の発達の健全な姿ではない」と、本にはあります。


 自分の発達年齢を軸に、ある幅をもって、時には大人っぽく時には押さなく、必要に応じて素直に前進したり後退したり自由にできることが、心のしなやかな発達のしるしです。


 特に3歳時はしっかり者になったかと思えば、1,2歳の赤ちゃんに戻ることもあると。ほんと、そう。


 赤ちゃん返りをすることで、かつて味わった赤ちゃんのころのお母さんとの一体感をもう一度体験し、自分は確かに愛されているという実感を確認して安心するのです。


 Kくんが生まれたころ、福岡市からもらった冊子の中にあった言葉。

 「子どものころに温かい愛情で包んでやることは、その子の生きる力になる」と。読んだときに「深い言葉だなぁ」と思って大切にしていたことなんですが、まさにこれと同じだと思いました。


 三歳を過ぎると、子どものたくましさについ気を取られて、「もう大きいのに甘えるなんて」とお母さんは思いがちです。(まさに!)


 しかし信頼していればこそ逃げ帰って来たお母さんの港が閉ざされていては、子どもはピンチに陥るでしょう。

 三歳は船出のとき。そしてお母さんは港。いつでも戻れる港をしっかりと持っている子どもほど、人生に荒海に元気よく乗り出していけるでしょう。


 Kくんは逃げ帰ってきてるんですね。

 荒海でいろんなことにチャレンジして、疲れて、家では一息つきたいんですね。

 

 人によっては「そう言われればそうじゃん」って話だと思います。でも、ワタシの心にはどの言葉もストンストンと落ちてきて、気持ちが整理され、Kくんの心の動きを理解できるようになりました。

 きっとワタシの感性に合っていたんだと思います。


 まぁ、これからいろーーーーんなことが起こってくるのかもしれませんが。

 この本をお守り代わりに、Kくんとの毎日を一つ一つ大切に積み重ねていきたいと思ってます。

 そう思えるようにしてくれた本でした。教えてくれたMちゃん、本当にありがとう。