ほんとこれ。

 

私は子供の頃から緊張しいで、

親もこれではマズいと

緊張に慣れさせるように仕向けたほど。

 

子供の頃ピアノを習っていたのだが、

歌のテスト前に、

家のこたつテーブルの上に登らされて

歌の練習をさせられた記憶がある。

 

当時母はかなりのスパルタママで。

 

発表会前などはピアノの横にピッタリとくっついて

練習させられていた。

 

それは恐怖以外のなにものでもなく、

当時のピアノの先生も怖かったために

(レッスン中涙で楽譜が滲むこともよくあった)

週に一回のレッスン日である火曜日が来るのが怖かった。

 

母の「緊張に慣れさせなければ」という作戦は、

残念ながら成功とは言えなかったようで、

今でも緊張しいは治っていない。

 

子供から大人に成長してゆく過程で、

「克服できたかも」

という時代も確かにあった。

 

だがしかしそれはただその緊張しいの性質が

たまたま表には出なかっただけで、

奥には潜んでいたのだろうと思う。

 

それが証拠に、

今でも緊張しいではあるが、

時によっては大丈夫なこともあったり、

時には表に出てしまったりといった具合なのだ。

 

この「緊張しい」という性質はなかなかしんどくて、

これをなんとか克服できないものかと思って来た。

 

「この性質さえなければ人生楽勝なんじゃね?」

と思えるほど。

 

そして実際今でもそう思う。

 

がしかし、

さすがに半世紀ほどこの性質と付き合っていると、

どうやらそれは無理そうだと諦めの境地にもなって来た。

 

それこそが私のあるがままの性質なのではないかと。

 

 

こんななので、

パートの仕事は5年ほど経とうとしているけれど

いまだに緊張する。

 

確かに程よい緊張感は仕事にむしろ大事かもしれない。

 

けれど過度の緊張はパフォーマンスを下げてしまう。

 

私の場合は完全に過度な緊張である。笑

 

電話が鳴るだけで「ビクッ」である。笑

 

 

そんな自分がイヤだし、克服したいけれど…

そういうものではないんだろうな、きっと。

 

先程も書いたように、

きっとこれからもこの性質は、

時に表に出たり時に引っ込んだりして付き合ってゆくもの

なのだろうなと。

 

完全にそれをなくすとかいうものではなく、

出来れば上手に付き合ってゆくというのが得策のようだ。