今日は父の日ということで
父のことを思い出して考察してみようと思う
父のイケてる写真をアルバムから探す時間が無くて、何度か上げている写真にて失礼します
多趣味な父は、
毎日のように合気道、剣道、薙刀、座禅、茶道、登山
ジョギング…etcいろいろな事に興味を持ってしまう、取り止めのない気質でしたが
若いうちに物理に興味を持ち、東京理科大を卒業後、
高校の物理教師の生業を得たことはラッキーだったと思う🤞😀
どうしてラッキーだったと思うかと言うと
父も自分が好きなこと、興味を持ったことしか
出来ない気質だったのではないかと考察するからです
子供の頃は、毎日のように父と二人で風呂に入っていたから、私だけは知っている🤫
父の背中には全面にイボが沢山あってシミだらけだったこと
歳を取ると、背中にイボイボがいっぱい出来てくるのだと理解していたことは、実は私と同じ
父もレックリングハウゼン病だったのではないか
ということ。
そして、レックリングハウゼン病の8割が
発達障害であるという臨床からすると
父の些細な事でキレやすく
いつまでもその事に固執してしまう気質も
仕方なかったのかもしれないと思える
父の意味不明な地雷を踏むと
よく殴られ続けた
幼稚園の頃、お気に入りだったバンビの絵柄の付いたピンクのプラスチックの箸を🥢
怒りにまかせて折られた時は
正直、この人は何かしらの病気なんだと
幼稚園児の私でも気付いたことを憶えている
バンビの箸を折られたことは今でも悔しい
幸い娘のアッチーのことは、殴ったことがない私は、母にアッチーを託して、朝・昼・晩バンバンバン働いて、一緒にいる時間があまり持てなかったことが良かったのかもしれない
父が亡くなって直ぐの頃
父が勤めていた進学高校の学年だよりを読んで
小学5年生のわたしは愕然とした🫨
そこには
「今でも、プラットホームの向こうから
手を振りながら近づいてくる先生の優しい笑顔が思い出されてなりません。」
と綴られていた🫢
父のイボを切除手術して病理検査に出して、レックリングハウゼン病と診断された訳でも
精神科医から神経発達症の診断を受けた訳ではないから何とも言えないけれど、
父も私と同じ病気だったと考えたほうが
父もいろんな矛盾を抱えて大変だったね
って思える
生きていれば98歳の父
父の没年齢をとっくに超えて
いずれは、私もそちらに行くので
その時は、楽しく話がしたい
故人の許可なく写真を載せてごめんだけど
父からいろいろなものを受け継いだ娘より
父の日おめでとう👨🥂🍾