気付きの意味~観察からの考察~
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どんなメッセージ?

昨日は凄かった…

私が調子悪いので、こたつでそのまま寝ていると、夜中だというのに何度も起こそうとしてくる。
声の調子からして、相手を気遣うような起こし方ではなく、怒りを感じてるような声の大きさ。

それでも私が起きないと、電気をつけて、パソコンをいじったり泣いたり…

感情が不安定過ぎる気がする。

普通ならば、放っておくのが、その場での自然な流れだろう。

相手の感情を読み取ることが極端に苦手なのか、自己中心性が強すぎるのか…

箱庭療法

せっかくの同じ学校の大学生なので、カウンセラー室を利用させていただいている。

私は何回か、臨床分野での事を聞くためにカウンセラー室を訪れていたので、そのカウンセラーさんの担当日に彼女と訪れた。


彼女自信、過去に箱庭製作をしたことがあることを聞いていたので、是非ひさしぶりに製作してみないかと話を持ち掛けた。

本人も快く了解をしてくれて、当日まで楽しみにしていたことと、製作にはとても満足していたようだ。

私も同席することを許されたので、見守ることに。


彼女はあまりカウンセラーさんと言葉を交わす事なく、製作にとりかかった。

彼女によると、自然と箱庭内での配置ができ、たくさんのモノがおけると言う。


私自信としては、逆に箱庭製作はなかなかやってみたいが、考えすぎて配置できなくなってしまうような抵抗がある。
多少、その手の本を読んでいるせいもあるだろうが…
やはり抵抗があり、自然に製作できることがうらやましく思える部分がある。

私に関しては感情表出が不得意な現れであろうか。


彼女の箱庭はたくさんの解釈を与えてくれた。
私もプロではないので、あまりそれを鵜呑みにしてはいけないのだが、やはり本の写真でみるよりも現場で立ち会うことの意義は大きい。
不思議な時間でもあった。



彼女は余程それが楽しかったのか、後日ほかのカウンセラーさんの日に一人で箱庭を作りに行ったことを後から聞いた。
写真も見せてもらったが、やはり一回目とは全く違い、途中で嫌になってしまったようで、箱庭内にほとんど置いているモノがなかった。




やはり見守り手・関係性の重要性とはこのことであろうか?

私が箱庭を製作したことないので、なんとも感覚がわからないのだが、製作者にとって、その場にいる人が『見てくれている』のと『見られている』の違いなのであろうか。

とても私にとっては勉強になった。
彼女もこれからもカウンセラー室には通うようである。

2007/01/07

以下の事は、相手のプライバシーに配慮しながら綴っていくつもりです。


出会いは約二ヶ月前。

全てを細かく記載することはできないのですが、最初から年齢的には幼さをどの場面でも自分の自己呈示方略を用いているようだ。
それは同性に関しても同様で、見た目が幼いだけに周りがそれを許容してしまう傾向がある。

話し方やメール・Web日記に関しても幼い感じの表現を用いている。


私は最初はあまり気にしなかったが、やはり時間が経つに連れて違和感を覚えたのもあるし、それ何より彼女がそれ以外の自己呈示方略を持っていないことに気がつく。
私が見ている以内では…


私以外の人は彼女の事をどぅ感じているのだろう?

だが、それも彼女のパーソナリティであり、否定する事はしないように配慮しているつもりである。

彼女は長い不登校経験があり、様々な役割演技の取得を経験し損ねたのではないかと推測している。


場面に合わせた役割を演じる事は社会に出るうえで欠かせない能力だ。
普通は意識せずに他者からのモデリングを通して学び活用していく。


彼女もそれには少し理解しているようで、仕事そのものよりも、そのような場(社会的な場)でのふるまいに自信が持てずに行動できないようだ。

でも学校という場ならば、現在はうまく適応できている。


わずかな違いではあるが、仕事いう金銭が発生する何かの目標に向かって団結する人間関係。

特に何かに拘束されるわけではなく、自由に自分に合う友達を選択できる学校という場。
彼女にとってはこれさえもやはり最初は苦痛に感じる部分もあったかもしれない。