私のパパ

  小さな頃は毎日飲みに行ってほとんど家に居なかった。たまに夜いると嬉しくて嬉しくて

^ - ^  母はパパの事で毎日イライラしてたな。

子供だから分からなかったけど

今はわかる。女の人がいたとか

ニヤリ

パパ夜出かけちゃう時玄関で

母が

もっとパパにあなた達が甘えてくれないから

行っちゃうんだよって

怒鳴られた。3歳くらいのとき。

私は意味がよくわからなかったけど

兄弟はわかる歳で未だに

その時の事はっきり覚えてて

たまに話題にでる。今は笑い話。


パパがいる日はよく母と喧嘩ばかりしていた。

中学生の時は勝手にやらせとけ

うるせーなって思うだけだったけど


小さな時は嫌で近くに住むおばあちゃんに電話して来てもらったら

後でものすごく母に怒られた


子供の前で喧嘩するから悪い{emoji:赤ちゃんぴえん}


兄弟がバスケを始めた頃から

パパはバスケすきだから

家にいたり試合見に行ったり

ビデオまで撮るくらい家庭を見るようになって

きた。


私が20歳位になると母も仕事をやめ

パパも母とも仲良くなり

猫ちゃん3匹いたりで楽しくすごせてたんじゃないかな


私も県外から実家に戻ってきて

会話が増えた。みんなの。


それから五年

パパが肝硬変で病院に何度も入院し始めた

お酒減らしたり

母がパパのビールにノンアルコールビールに

気づかないようにすり替えたり。

グラスに注いでのむんだけど

すり替える瞬間の

残りビールは

母が瞬時に一気飲み


気づかないパパに

笑いそうになるのを我慢我慢。


そんなこんなで過ごしてきたんだけど

父方の祖母が脳梗塞で

家に寄ったかえり道

亡くなった


それから祖父もすぐ肺炎で亡くなった


父は寂しかったから

お酒をおばあちゃんの家で

あたし達にわからないように

毎日毎日500ミリのビール

12本飲んだ


病院にあまりにも具合悪そうで

無理矢理兄弟が連れて行ったら

余命宣告された

入院した


病院に行く日

ぱぱは

緑色だった


人間が緑色になるのなんて

知らなかった


本当に緑。

ドラゴンボールのピッコロみたいな。


それから入院して

1週間くらいで亡くなった


私は弟がいて

死に目に会えなくてそれだけが

くやしいな。


でも最後は

この世のものとは思えない苦しい

声をだして

苦しみながら

亡くなったときいた。

兄弟はそれをみて過呼吸おこした位だから

多分相当だったとおもう。


私は余命は短いとわかって居たけれど

さすがに急だったから

受け入れるまでに

相当な年月が、かかった。


こんなに親が亡くなるのが

辛いのか。

この世の中のいつもの景色が

父が亡くなったら

別の世界に見えた


いつもの景色なのに

別の世界にいる感覚だった

不思議な感覚。


もう大事な人が亡くなるのは

怖い


母がもし亡くなったら

私は多分ダメになると思う


多分絶対




リズ❤︎rei 私の好き