水戸光圀公が「水戸七社」というのを定めたと知り、しかし正確にこれが七社だというのは水戸神社と竈神社だけで、他は調べても諸説あるみたい。手当たり次第に行ってみるしかないべ。
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ということで、今日は歩いて行けない大井神社へ車で行くことにした。さすがに片道約8kmは歩けん、文明の利器を使うベシ。
前々から気になってた大井神社なんだけど、石段が150段あると書いててヒヨってた。いい機会だしサポーターをつけて装備は万端だし、張り切って行ってみっぺー。
てなことを考えるうちに、車なんですぐ大井神社に到着した。ご由緒には水戸七社の記載は無いけど、今度は「那賀郡七座」という言葉が出てきた、どんどん奥が深くなるなあ。
ちなみに、駐車場は鳥居前の飯富集落センターに停めて良いようだ。そして境内が広い、神社を参拝するということは、ほぼ必ず歩くことにつながるから、運動不足解消にもとても良い。
一礼して鳥居をくぐると噂の石段が現れた。体重も減ってるし、歩ける格好できたから大丈夫でしょう。
手水舎、
手水舎から最後の石段を上ると、突然雲が切れて陽が射し始めた、きっとウェルカムだと思われる。
拝殿は安政年間に徳川斉昭公が造営されたとのこと。御祭神は初代仲国の国造である建借島命、配祀神に木花開耶姫命。
神武殿、今も剣道練習をしてるみたい。
万歩杉、
氏神舎蒿宝殿、こういうところは初めて見た。
御本殿、そういえば狛犬さんがいない、狛犬さんがいる神社といない神社の違いはなんだべな。
奥宮、
伊勢金比羅参り碑、
本宮、
御神木の夫婦杉、
絵馬殿。こりゃすげえ、歴史があるわ。
神輿殿。絵馬殿の写真を見ると、今もお祭りの際は出陣してると思われる。
左が天神様、右は疱瘡神社。江戸時代は子供が疱瘡でなくなることも多かったそうだ、願いが分かるわ。
左が馳出神社(保食神)、右は稲荷神社/金比羅神社。
方位の神である八方神、初めてお会いした。
位牌殿、
椿大神社、交通安全の神様。
地図には載ってないけど、産土之神と書かれている。
上にある駐車場の奥の道を下ると、
大井神社の墓所の前に石仏群。
そこからさらに奥へ行くことができて、まず女龍神の社があり、
背後には谷がありパイプが引かれてるので、石碑にある竜光水が流れていると思われる。
養蜂のあとだろうか、その先には芭蕉句碑がある、
以前、ここには竜光院法善寺という建物があったみたい。廃仏毀釈で無くなったようだ。
そこからさらに奥へ行くと、
愛宕神社に着いた。ご由緒によると、水戸愛宕神社が建っている前方後円墳に眠るのが、御祭神の建借馬命なんだそうだ。
庚申塔。こう見ていくと、神教、仏教、道教等々、歴史が積み重なってる感じがする。
御袋様、きちんと祀られているがちょっと分からん。分からんけど迫力があるので、ちゃんと手を合わせてきた。
御榊様、
脇の石段を下りて、また少し上ると女化神社があるのだが、
木の下に狐さんがたくさんいて少しびっくりしたけど、こっちがいきなり現れる方が失礼だわな。
意冨比弁天巽神社、銭洗場とのこと。大井神社の元々は意冨比(おほひ)神社であり、意冨は飫冨とも書き、これがここの地名である飯富(いいとみ)の語源なんだってさ。
手水舎の先には女坂があり、近くには二寅霊神や巫女屋敷御稗敷跡もあったらしいんだけど、残念ながら見落としてしまった、また来なきゃだ。
山を下りるとパイプの先から水が滴っている、竜光水に違いない。
近くに宮司さんのお宅があるそうなので、御朱印が欲しいときは失礼が無いように伺えばよいと思われる。
境内の静けさ、神聖さがとても良い神社だったけど、水戸七社の一つなのかは分からずじまいだ。もう少し勉強すっぺ、他の神社にも行ってみるベシ。