日常の研究

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一年も早いもので、もうすぐ半分が過ぎようとしている。

年を取るたびに時間が早く過ぎていく、というのはよく聞く話だが絶賛体験中である。

子供の頃は毎日が新しい体験や情報との出会いを繰り返すから一日が長く感じるというものらしい。

反対に大人になればなるほど新しいものとの出会いは減っていき無味無臭な日々が続いていく、あるいは新しいものに出会っても似たような経験を活かして処理をするのが上手くなっているのかもしれない。

実際、小学生の頃なんかはその日の事を飲み込んで消化するのに精いっぱいだった気もする。

 

今日、普段利用しているスーパーに久しぶりに行った。

大体二週間ぶりほどだろうか。

いつも通り店内に入り、消毒用のアルコールを手に塗りたくり、買い物かごを掴み上げる。

そうして目を上げるといつもとは違う光景が飛び込んできた。

何度も利用したことのあるスーパーである。

どこに何が陳列されていて、何時ごろに値引きシールが貼られ、このおばちゃん店員はレジ打ちが早いけどこっちのおじさん店員はいつまで経っても慣れないようでいつももたついている、なんて事まで頭に入っているスーパーである。

そんな場所で普段と違う光景などなかなか見れるものではない。

それでも今日は確かに違っていた。

あるべき場所にあるべきものがない。

レジの方に目を向けるとそちらもまた様相が違う。

どうやら僕が足を運んでいなかった2週間の間に店内の模様替えが行われたようだ。

独り身で自炊もたいしてしない僕にとってスーパーで買うものといえば大抵決まっていて、どのルートで品物をかごに入れて行けば一番効率よくレジまでたどり着けるか、というのがしっかり頭に入っている。

しかし今日の買い物ではそうはいかないのだ。

面倒臭さが半分、ワクワクが半分といったところだ。

まず最初に足を運ぶのは、前までは入り口から最も近くにあったお弁当や総菜、サラダなんかが置いてあるエリアである。

しかしそこには色とりどりの生野菜たちが並べられていた。

僕にとってはスーパーで最も縁のないと言っても差支えないものだ。

お弁当たちを探して店内を歩いていると見知らぬ店に迷い込んだような不安を感じる。

身近なものが自分の知らない間に変わってしまうと、こうも不安になるものかと少し驚く。

お弁当たちは店内を半周したところ、前の場所から反対側、対角の位置に飛ばされていた。

その場所を確認するや、頭では新たな効率的なルートが計算され更新される。

結果、前よりも良さげな場所に置かれているという事を確認して少し満足した。

次に向かうのは2階、飲料水や冷凍食品、レトルト食品にカップ麺と、僕にとってのメインディッシュが置かれているフロアである。

こちらの方は細かい部分で配置が違うところはあれど、大きくは変わっていなかった。

それでも飲料水とレトルト食品は一つ隣の棚に移されるなどの新鮮味を味わうことはできた。

目当てのものを一通りかごに入れ終わり、1階に降りてレジへ向かう。

そこでこの模様替えの目的を知ることになった。

どうやら、今まで店員がレジ打ちから会計まで全てを手動で行っていたレジから、セルフ会計レジというレジ打ちまでを店員が行い、会計は機械によりお客自身が行う、というものに移行した関係で全体的に模様替えが行われたようだった。

 

大人になって、こういった身近な変化というものに意識を向けることが少なくなってしまった気がする。

色々なものの変化をいろいろな形で見てきたせいで変化への耐性が出来てしまった。

大抵のことならすぐさま順応し、すぐさま日常にしてしまう。

そうして毎日同じことの繰り返しの「同じこと」に分類してしまう。

こうして一日、一週間、一年があっという間に過ぎていくのだろう。

果たして僕の「今日」は長かったのだろうか、それとも短かったのだろうか。