はじめまして✨
こちらは
星野玲奈の生い立ち、自己紹介になります。





NLP(脳の取扱説明書)の
技術を用いたコーチングで

家庭と仕事、やりたいことや夢などの
様々なワークライフバランスに
悩む女性たちが
やりたいことをやり切る
一人一人にとっての🧡最幸🧡の人生を創るためのコーチ

星野玲奈



福岡在住
1990.1.28生まれ
現在3歳と2歳の年子姉妹のママ
シングルマザー

美的マインドコーチ

アイラッシュ・まつげパーマを
取り扱う博多にあるサロン
Bloom eye designの
オーナーアイデザイナー
として活動。





〜人見知りで
感情をうまく表現できない幼少期〜


自分自身も自覚はあったのですが

つい先日
母に私って子どもの時どういう子だった?
と聞くと、


大人しくて物静かな子だったよ


と返ってきました

あまり人前で何かをしたりすることが苦手
自分の気持ちを表現することにも恥ずかしさがありました


なのに、


幼稚園の時の運動会の項目に
『元気体操』というものがあって、

それをみんなの前で朝礼台に乗って
代表して踊る役を決める際に
何故だか唐突に😳
勇気を振り絞って手を上げたのを覚えています


その時
なんとも不快な感情だったことか。笑笑
当時のことはよく印象に残っています


でも言ってみたら
それが私の本音なのだと
今となって思います
人前が苦手でシャイなのに
本当はみんなの前に立ちたい、
引っ張っていく役がいい




〜正解を求める
世間一般的ないい子ちゃん期〜



中学生までは人見知りの自分のまま
クラスでも大して目立たない存在だったと思う


習い事や勉強にも真面目に取り組み、
いい成績を取ったり
何か表彰されたりして
両親や先生に
褒められることが私の喜びで

正解であろうことを求めて
こうすれば認めてもらえるんだと
そういう価値観を採用していた時期



〜来たる反抗期
自分を探してもがく〜



高校は希望の学校とコースへ無事に合格し
晴れて美容師の卵としての高校生活をスタート

入学当初はクラスでも成績が
3番以内には入っていた私ですが


親や周りの目を気にして繰り返してきた
自分の行動や選択に違和感を感じるようになり

そのあと段々学校や勉強を怠けるように、、、


その当時の環境、状況も、
友達の家に泊まって帰らないことや
寝不足で学校も遅刻して行くことなんかもありました

先生にも化粧や髪の色、スタートの丈なんかで
校門でひっかかり、登校したばかりなのにそのまま帰されることも度々、、、
(今考えると先生ごめんなさい…とは思う😂)


とにかく家族とも上手くいかない
学校でも怒られる
何をするにもやる気がない

何もかもが上手くいかず
なんだかイライラして
不器用にもがいていた記憶がある高校時代

親にも周りの人にも
たくさん迷惑をかけました



〜夢をあっさりリタイア〜



そんなこんなで無事に
美容師の国家資格も取得し、
新社会人へ✨
夢だったかっこいい美容師になるんだー!


と就職したのですが
朝5時起きで出社し、
営業中はビラ配りや雑巾拭きなど雑務で終わり
営業が終わればシャンプーレッスンで
帰りは日を越えることも


思っていたよりシビアな勤務体制に
夢だったはずの美容室勤務もあっさりと
同級生の中でも一番にリタイアしたのでした


そんな様子を見ていた
同級生から言われた一言

『お前って何も続かないよね』

という言葉は今でも覚えていますw😂
イラッとして悔しかったけど
ごもっともで
自分に腹が立ちました



〜新しい世界を知る〜



そうして美容室を辞めてからは
テレアポをしてみたりアパレルをしてみたり
ふらふらとフリーター生活を送っていました


ある日、


繁華街のアーケードを歩いていた時に
いきなり中年の男性から声をかけられ、

新規オープンするキャバクラのオーナーですと
女の子を探していると
名刺を渡されました


それが私が初めて勤務した
夜のお店との出会いでした


田舎のキャバクラではあったけれど
その当時18歳の私からしたら
日頃の自分の生活とは別世界で

街もお店もキャストの女の子も
それはそれは
全てがキラキラして見えました


そこで友人数名と
最初はなんとなーく
遊び感覚で働きはじめたのですが

徐々に指名や売り上げなど
数値が目視化することによって
やりがい楽しさを感じはじめました

こんな私でも求めてくれるお店がある
お客様がいる
認めてくれる環境がある


他の誰かに指示されてやったことが
褒められるのではなく
自分で見つけたもので
認められるということが嬉しかった


ただ夜働いていることを知った親からは
相当反対されたし縁を切る寸前でした



〜人の目が気になるあまり
摂食障害を発症〜



自分自身でやりがいを見つけられ、
そこで認めてもらえるという
ベストな環境を見つけたと思ったのも束の間


20歳になった私は摂食障害を発症しました


身長は153cm
体重は30kgまで落ち、
命の危機があるとのことで
たくさんの病院を周り
入退院を繰り返しました


私はストレスから来る拒食症だったため
あえて食べないや
吐くというようなことを
好んでするということはなかったのですが

常に胸焼け
ご飯を見るだけで吐き気を催していました


心も弱っていって
身体も息をしているのがやっとで
酷い時には
ろくに歩くこともままなりませんでした

そんな精神状態だったこともあり、
自殺願望や自殺未遂も経験しました


そんなこんなで20〜25歳の5年間程は
調子良くなったりくずしたりの繰り返しで
振り返ってもよく頑張ったなと自分で思える期間


いやぁ、
生きててよかったw
今でこそやっと笑って話せるようになった


それからは


やっぱり好きだったホステスの仕事をしに
24歳の時に地元を出た


当時は慣れ親しんだ地元から出ることで
何か変わりたかったし、
一人でやってみたいという気持ちが
強かったことを覚えてる


そして27の時に
その当時の彼と結婚し
年子で姉妹を出産


平穏な毎日が続くと思いきや、
元々感情の起伏が激しかった私は
妊娠中・産後のホルモンの影響もあって
感情の波がジェットコースター🎢状態


旦那さんとも喧嘩が絶えず
感情お化けと呼ばれたことも


色々と要因はあるのですが
大きな原因として、

子どもたちに及ぼす影響が良くない
という理由で
約2年の結婚生活にピリオドを打ちました


離婚当初は完全に元旦那さんを敵視し、
相手に非があると思って疑わず
戦闘態勢ファイヤー🔥状態でしたが

時間を置いて振り返って
冷静な視点でその当時のことを見れたときに
やはりそこで自分の学ぶべき課題が
浮き彫りになって見えたのです



現実は全て自分自身が創り出している

私はこれをNLPでも学びました




病気や離婚、
この様な結果を招いた原因を
私なりに考えてみた結果


常に私は外に正解を求めたり
他者に褒められることによって
認められた感に浸って自分を肯定してたんだよね


誰かに評価されることが喜び
そうすることでしか
自分の存在意義を見出せなかった


自分で自分のことがわからないから苦しい
自分のことがわからないから
自分のことを自分で満たしてあげられない
自分で自分のことが分からないから
だから気持ちを他の人にも伝えられない
伝わらない
自分で自分のことがわからないから
始めたことも続かない


これ分かった時
一瞬絶望したよね 笑笑

でもね、
言い換えてみたら


選択次第で自分の人生自分でどうにでも創ら直せるってことなんだよ
良くも悪くも自分次第っ!


そのことに気づけ〜!!
って摂食障害を発症したときには
身体がサインを出したんだろうなって思う


人は

自分で自分を認められるし
自分で受容する・許可することもできる

不満や不安があれば
その原因を自分で見つけられる
そうすると対処や改善することもできる

自分の気持ちがわかれば
誰かにその想いを伝えられる

そうすると
大切な人とは信頼が深まり

更に、
それに共感してくれる人が集まってくる


自分が笑顔で毎日を過ごせて
心から満たすことができたなら

自分も周りも幸せな循環が生まれる



私は


どんな感情も大切に扱って
自分のことを自分で満たせる
世間一般的な幸せのかたちではなく
自分だけよ幸せのかたちを見出せる
そして
そのパーソナルな幸せの形を叶える人生を送る
女性のサポートをしたい

そう思ってコーチ活動をしています


制限をかけるのも
力強い後押しをするのも
全て自分


それなら勇気を出して
幸せを一緒に掴みに行こうよ!


人は一人では頑張らなかったり
継続が難しかったりします


だからこそコーチがいて
コーチングというものが存在します


私のモットーは


家族や大切な人との幸せ
自由な時間やお金
そしてやりたいことを
自分にやらせてあげられる

自分自身を満たして周りにその幸せを還元する


そんな人生を常に目指して歩んでいます


同じように感じている方や
直感的にピンときた方との
ご縁がつながることを楽しみに💕

つらつらと書いた
自己紹介をおしまいとさせて頂きます





最後までお読みくださり
ありがとうございました✨💖






星野玲奈