前回の龍神さま巡りの後、

四天王寺にお参りに行きました。

毎月22日にしか開門しない物部守屋の祠に

向かいました。その前に金堂に行くと

数人の僧侶がお経をあげてるところでした。🙏


五重塔と金堂

太子堂の東側に廻ります。


跳び石の先に守屋の祠があります。

境内はお彼岸でたくさんの人がいてるのに

ここは、ひっそりとしています。

少し空気が違います。


両側の灯籠には、聖徳太子御影前の文字



祭神 物部守屋大連
   弓削小連
   中臣勝海連

守屋の祠 

崇仏派の蘇我馬子と廃物派の物部守屋が

仏教の受容をめぐって戦いが起こり

守屋は、3度戦い3度勝利したが厩戸の皇子

(聖徳太子)が四天王の像を刻んで祈願したことに

より勝利した。(守屋は弓矢に当たり亡くなった。)

聖徳太子が推古元年(593年)四天王寺を建立された

時に戦いに負けた守屋の御霊を四天王寺の

境内地に祀った。

さらに、守屋の家来達を寺の公人として使役

されたと言う。

守屋の御霊は感激して、四天王寺を守護する

守神となった。

後年、守屋の祠にお参りすると願いが叶うと言う

伝説が広まり、『願成就宮』と呼ばれ隠れ

スポットのひとつとなった。


会津八一の歌碑




私の考えでは、聖徳太子は守屋を非常に

恐れ、御霊を鎮めるために、祠を建立した。

守屋の家来は、反乱を避けるために

四天王寺に隔離した。

太子堂の片隅に祀り、(祭神の三柱は

守屋と共に戦った仲間)太子が睨みを利かし

灯籠まで聖徳太子御影前と刻んで封印している。


聖徳太子の仏教支持

物部守屋の神道支持

2人の宗教戦争は今もつづいているのか?

そう思えてしまう。

近日中に物部連の本拠地 中河内の神社巡りで

謎解きを開始します。

つづく

つづく