運転中、早咲きの桜🌸のピンクが目に飛び込んでくる季節になりましたね。
先日、分かち合いの会に行ってきました。
もう何度か参加していますが、参加される方が次第に増えてきていて、前回は進行役の方を入れて15名でした。
最初に参加したときの約2倍の人数です。
今回は、お子さんを亡くされて日の浅い方も3名いらっしゃって、お部屋に入って来られたときから表情が固く、すでに涙ぐんでおられました。
どの方のお話を聞いても、胸が痛くなり涙が出ます。
テーブル上のティッシュの箱が行ったり来たり…
その会のルールとして守秘義務がありますので、個人的な例をお話することはできませんが…
今回、参加者は全員女性、そして亡くなったお子さんは女性が1名だけ、男性が圧倒的に多いです。
そして、長く闘病されていた方は少数で、多くは突然死や交通事故などの事故が原因で亡くなった方たちのご遺族です。
息子が亡くなっているのを自分が発見した、あるいは我が子がなくなったという連絡を受けた、という例がほとんどでした。
我が子から最期の言葉を聞いた人はいません。
私もそうですが、亡くなるとき、我が子が何を思ったのか、苦しかったのか、痛かったのか、知ることができなかった方たちばかりです。
参加者の中には、希死念慮の強い方もいらっしゃって、どうやったら死ねるかということばかり考えていました、という人もいました。
また、我が子の死を無駄にせず遺族会で活動されている方もいれば、遺されたご兄弟の精神状態を心配されている方もいられました。
亡くなった我が子の年令も原因も、亡くなってからどのくらいの年月がたっているかも、そして、現在の状況も様々です。
けれど共通しているのは、悲しさ、辛さ、切なさ、絶望感と日々闘っていること、気持ちは一進一退、アップダウンしていること、どう生きていったら良いかの葛藤がある、ということです。
進行役の方はもう何十年もこの分かち合いの会に携わっている方ですが、会の終わりの方でこんなことを仰いました。
「亡くなった後もなお、故人と新たな関係を作っていくんです」と
その言葉を噛み締めてみました。
確かに亡くなる前は、たまにどうしているかな? なんて思うくらいだったけど、今は四六時中息子のことが頭から離れません。
何を見ても息子との思い出が蘇り、涙し、生きていたらなぁ、と思う。
辛いけど、いつもいつも私の心の中には息子がいます。
亡くなって、さらに息子との絆は強くなっている、と感じるのです。
分かち合いの会に参加するととても心が疲れます。
お一人お一人のお話を自分の思いに重ねて聞き、頭の中がフル活動するからでしょうか。
でも、自分と同じ思いを抱えて生きている人がたくさんいることを知り、感情を揺さぶられたり、深く考えたりできる場です。
分かち合いの会のようなグリーフケアの場が、どこの県や市にもあるわけではなく、私もようやく見つけました。
毎回、2時間以上の時間をかけて行っています。
病院には、病気で亡くなった方のご遺族のグリーフケアを目的とした会があるようですが、突然我が子を亡くした方たちは参加できません。
「同じ経験をした方とお話をしたい」と私も何ヵ月も思っていました。
同じような思いを抱かれている方が日本中にたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
自分がこうなってみて初めてグリーフケアという言葉を知り、特に日本は遅れているということを知りました。
我が子を亡くすということは心をズタズタにされるのと同じくらい傷つくことです。
心から血がダラダラ流れるほどの苦しみです。
でも、そんな傷をケアしてくれる場がほとんどない、という現状…
このブログがひとつの救いの場にはなっているけれど、ブログができるほどスマホを使いこなせない人もたくさんいます。
分かち合える場が少しずつでも増えていくことを願っています。
今日も読んでくださってありがとうございます。
ここで支えてくださっている皆さまに心から感謝しつつ…