秋晴れの日、掃除機をかけようと窓を開けたら、ふっと金木犀の香り
そうだ、窓ガラスやカーテンも洗わなきゃ、と思った途端、昨年の今ごろのことを思い出しました。
いつも12月に入ってから大掃除を慌ただしくやるのですが、昨年は年末ゆとりをもって過ごそうと思い、早めに大掃除を始めたのです。
掃除をしながら、「お年始はいつにするかなぁ。何を作るかなぁ」なんて、気の早いことを考えていました。
幸せだったとき…
まさか、それからひとつきもしないうちに、どん底に突き落とされるようなことが起こるなんて思いもしませんでした。
あれから1年…
もう1年たつんですね。
直後は一日が本当に長かった
いったいこの地獄がいつまで続くのか、息も絶え絶えに一日一日を何とかやり過ごしていました
自分のメタメタな心がどうなっていくのか、救われる日がやってくるのか知りたくて、たくさん本も読みました。
遠藤周作、五木寛之、伊集院静などのエッセイ、エリザベス•メーレンの「悲しみがやさしくなるとき」、キャサリン•サンダーズの「家族を亡くしたあなたに」、アール▪︎グロルマン(キュープラー▪︎ロス序説)の「愛する人を亡くした時」、江原啓之の「天国への手紙」…etc
その中で、心に残った言葉はノートに書き留めました。
その中から
★子どもを失くすと、親は人生の希望を失う
配偶者を失うと、共に生きていくべき現在を失う
親を失うと、人は過去を失う
友を失うと、人は自分の一部を失う
~アール▪︎グロルマン~
★悲しみは常に存在し続けます。なくなることはありません。でも形はかわります。今日大きいかと思えば、翌日は小さくなります。時がたつと悲しみは落ち着くべきところに落ち着きます。
~エリザベス▪︎メーレン~
★愛する人との別れは決定的な悲しさを伴います。そんな時には「往還(おうげん)」という言葉を思い出すようにしています。浄土信仰にある言葉で「往ってまた還る」という意味です。往き還りを繰り返しながら、この宇宙の大きな流れの中を流れてゆく、そんな考え方です。
~五木寛之~
★別離は哀しい出来事である。
死の数年は、弟(17才水難事故で死去)、妻(夏目雅子 白血病で死去)を不運と思っていた。今は違う。天命とたやすくは言わないが、短い一生にも四季はあったと信じているし、笑ったり、喜んでいた表情を思い出す。それが、二人への生への尊厳だと思うからだ。
別離した人が、いつまでも身体の中に生きていて、その人の生の力になっている。さよならの力はきっとあるのだ。
~伊集院 静~
さまざまな人の言葉を心に刻みながら、一日一日を過ごしていました。
明日は、少し早いけど一周忌法要を納骨堂で行います。
息子に会えなくなって一年以上、そしてこれからも会うことはできない、そう思うと悲しくて、辛いですね
今日も長いブログを読んでいただいて、ありがとうございます。
穏やかな秋の夕べを過ごされますように🌾