3.11
あの日からもう何日たったでしょう。
やっとネットがつながりました。
いろいろな方から、心配しているとのメールをいただいていたことを知りました。
ケータイメールは見れていたものの、こちらでお返事ができず本当にごめんなさい。
そして。。。ありがとうございます。
家族もみな助かったのは、本当に紙一重だったように思います。
私が住む町は海に面した町でした。
今年に入ってからも地震は頻繁に起こってて、
そのつど津波警報が発令されていました。
3.11のほんの数日前にも大きな地震があって、
もちろん警報が発令が出ました。
そんなことが続いていたせいもあるし、今まで津波が来たことはなかった。
だから、地震は大きかったものの、津波が来るなんて思った人はほとんどいなかったんです。
だから逃げなかった。。。
そんな状況が、死者、行方不明者1000人近い被害を生んでしまいました。
人口16000人の町でです。
今までは地震が来ても家に帰ったことは一度もありませんでした。
まして、津波警報で避難したことなど一度も。。。
ただ、その日は何故か。
何故か「家に戻ろう」。地震直後そんな行動をとってました。
それでも津波がくるなんて、はやり思ってはいませんでした。
家に戻ると、じいちゃんと息子が家の中の倒れた家具なんかを直してました。
もちろん避難する気なんてさらさらなく。
でも、その時私は言ったのです。
「今日は避難しよう」
「津波なんか来るわけないよ」
そういう息子とじいちゃんに、
「2時間くらいで帰ってくるから、とりあえず行こう」
しぶる二人を車に乗せ家を出ました。
高台の役場に行く途中、手を上げてるお年寄りと孫さんが、
「車がないから乗せて欲しい」と。
そして、どこの子かわからないけど下校途中の小学生。
4人をお向かいさんの車とウチの車とに分乗させ役場へと。
途中、たくさんの人たちが逃げるでもなく、
塀のブロックを直したり、道に出て話をしてたり。。。
とても避難するといった緊急の雰囲気ではありませんでした。
誰も・・・津波がくると思ってなかったから。
避難してまもなく。
津波の第一波が来ました。
そして巨大な第ニ波が。
目の前の状況に愕然としました。
声はまったく出なかった。
ただただ・・・波に飲まれてく家や車や田や畑を見つめていました。
逃げたのは、
助かったのは、
言葉では説明できない、何かに動かされたとしか言いようがありません。
家に戻らなかったら・・・
確実に家族は助からなかった。
逃げなかったら・・・
逃げるのがもうちょっと遅かったら・・・
私も津波に飲み込まれていた。
それから・・・
今は、仙台の南にアパートを借りて住み始めました。
この間、いろいろな方に励まされ、助けられ、やってこれました。
ご心配してくださった皆さま、ほんとうにありがとうございました。
ゆっくりとお返事させていただきますね。
地震や津波は天災で受け入れ、前に向かって進むことができます。
でも・・・原発事故は人災です。
これからどうなるか分からない不安と、
見えない恐怖。
私の町も原発から50キロ。
飯館村と隣接している隣町丸森では高い放射能の数値も。
故郷を離れざるをえない福島の人たちのことを思うと堪らない。
津波から逃げ延びた。
その時の、人間というより動物としての本能。
その理屈ではない感覚でわたしは思います。
核は人が手を出しちゃいけないもの。
まして地震国日本、今すぐ原発を止めてと。
急遽、仙台でも『脱原発デモ』を企画しました。
お天気が今ひとつですが多くの人に集まってもらいたい。
一緒に声を上げましょう。
☆☆☆原発のない未来を子ども達に!☆☆☆
~いまこそエネルギーシフトの声を上げよう~
脱原発デモ in 仙台
●日時 5/1(日)14:00から集会開始 荒天時中止
●集会場所 肴町公園
(仙台市青葉区国分町、一番町アーケード ロイヤルホストを西に入る)
地図 http://tinyurl.com/3cpfkrc
●よろしければプラカードや楽器を持参して下さい。コスプレも歓迎。
●手伝って頂ける方を募集しています。連絡先にあるメールアドレスにご連絡下
さい。
●連絡先
仙台プレカリアート労働組合(準備会)
http://tokiminori.under.jp/wp/
Tel: 070-6689-3052
sendaipurekari◎gmail.com(◎を@に代えてメールを送って下さい)