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my life as a dog.

つれづれなるままに。日々のことをつづります。

親戚の結婚式があり、仙台へ帰郷。
私は横浜生まれだし、故郷、でもないんだけど、
仙台へ向かうのは帰郷、って感じがすごくする不思議。

久しぶりに親戚に会い、時間があったので、松島方面を観光。
家族3人で出かけることも、あらためて仙台の街を歩くことも、なかなか無い。
松島には、幼い頃に来たことがあるらしいけど、全然覚えてない。
なんか、この景色を以前も見たんだな、とか、その時は家族4人だったんだな、とか、
いろんなことを感じた。今のタイミングで、そこを訪れていることの意味っていうか。

で、なんかもう観光の途中から、自分の深いところから何かが、
ぐらぐら、グツグツと揺さぶられている感覚。そしてすごくセンシティブっていうか、
感受性の部分がむき出しになってる感じ、が帰ってからもしばらく続いた。

いろんなことを感じるけれど、1番強く感じたのは、
家族に対して、完全には心を許してないんだな、ってことと、でもそれがすごく嫌で、
なんとかして、変わりたいんだって思ってる、ってこと。
前に比べて、いろんなことを話すようになっているし、変わった部分もたくさんあるけれど、
まだ、深いところから、心を開くことはできないんだな、て感じ。

そんな自分に関して、変わりたいって思っている自分がいる、ってことに
気付けたのは、大きな変化かもしれません。それもまた、タイミングだなーと思う。
いままでの、いろんな過程があってこそ、の今。たぶんこれは、すぐにどうこうなるものでも、
できるものでもないと思うんだけど、5年後、10年後に、違う気持ちで振り返れたらいいなーと思う。

髪をきって、ちょっとスッキリ!

行きたかったうどんやさんにも行けて、まったりの週末でした。


ここ最近、いろんな人と話してて感じたことのつれづれ。


自分を信頼すること。

失敗するかもしれない可能性も含めて、その選択を自分ですること。

いまの自分には、まだまだ難しいことでもあるんだけど、

そうやって自分の選択をしないと、自分が結局後悔するなーと、この1年で思った。

誰かのいわれるがままに、ただやっているだけだと、不全感が残ります。

いまの自分が、しっかり考えて、選べる、行動できること、最善を尽くすこと。

自分を信じて、やってみること。

きっと、そうやってつかみとった結果であれば、失敗も大きな糧になるんだと思う。


30代になったら、なんかがスコーンと抜けて、楽になるのかな?って思ってて。

でも現実にはそうでもなく?まあ、楽にはなってる部分もあるんだけど、

もやもやしてる部分もいっぱいあって。

そんなことを、今日はじめて出会った人に話してたら、

まあ、一気にスコーンって抜けなくてもいいんじゃない?

一気に変わると、反動きそうだよねーって言われて。

確かにー!と思った。

そして、ああ、なんか、一気に楽になりたいんだなあ自分、ってことと

前に「(変化は)少しずつだよ」ってある人に言われたのを思い出した。

そうだよねー。なんか、やっぱり焦ってる部分もあるのかな。


意識的に、自分を見つめる時間をつくること。

自分と仲良くなる時間。

美味しいものを食べること、お酒を飲んだり、外からの刺激で「今」に集中すること、

そうして、こころとからだを一致させようと、自然にしているっていうのが、

人間てすごいなー!と思った。

そして、じゃあ、瞑想とかワークとかがそれらとどう違うのか、って考えると、

意識的に、それをしているかどうか、っていうこと。


つい先日、久々にゲシュタルトのワークを受けてきた。

そこを訪れるのは、たぶん2年ぶりくらい。

部屋に入って、自分の場をととのえて、少し静かに座っていたら、

なんだか胸がグルグルして、涙があふれてきた。

わあ、なんだこれーって。そんな経験ははじめてで。


その日のワークは、今までと少し違って、なんか、いろんなことを「確認」しているようなワークになった。

で、その1日を通してすごく感じたのが、そこが自分にとって、すごく安心できる場、なんだな、ってこと。

また、きっと何かあったら訪れるだろうし、それが何年ぶりであっても、

いつも変わらず、迎え入れてくれるんだろうな、って感じられる場所。

そういう場所とか、人とか、存在してくれることが本当にありがたいと思う。

そして、自分も、だれかにとってのそういう人、とか場所、になれたらいいな。

安心感を与えられる人。ぶれない人。





ずっと興味があった、箱庭療法を体験してきました。
伺ったのはこちら↓
株式会社クリエーションアカデミー
http://www.meltcom.co.jp/

さて。
全体図をのせてみようか迷うところだけど、まあ、いっか。
できたのはこんな感じ。
 
二つに分かれてて、川が流れています。
で、手前側はイメージ的に青。ちょっと冷たい、ピシッとした感じ。
奥側は、赤とかオレンジのイメージ。自由で、あたたかくて、のんびりした感じ。
行き来は自由にできるんだけど、行き来はあんまりなくて、手前→奥に向かう人がほとんど。

作った後に、見守っていてくれたセラピストさんから、色々質問されます。
で、話していると、色んなことに気づきます。
いくつか、印象的だったことを書いてみます。

この中で自分は?との問いに、真っ先に浮かんだのは、

木の下でくつろいでる、黄色いうさちゃん。
と、その横で伸びをしてる猫。
二人とも、天気のいい日に木陰でのんびりまったりしている感じ。
まあ、ふむふむ、しあわせそうでいいね、という感想なのですが。

セラピストさんと話していく中で、ああ、これ自分だったわ・・と気付いたのが、
 
黄色い人の前にいる、木の人形。
これ、関節が動くようになっているやつで、いわゆるマリオネット、操り人形です。

この辺の人形について話している中で、
自分「この悩んでいる人とか、黄色い人については、実際に思い浮かぶ人が何人かいます」
セ「この木の人形は?実際に思い浮かぶ人はいる?」
自分「・・ああ、これは私でした。」

なんか、、、すごい!と思った。
人形を置いているときには、ただ何も考えずポンポン置いているのに、
こうやって見ると、いろんな事が表現されていて。
しかも、とってもタイムリーなことが表現されている。

今の自分が気になっている事というのが、人との距離感のことで。
距離感というか、ある人との境界線の無さ、というか。
ここ1年くらい、ずーっともやもやしたものを抱えていて。
それがごく最近、ああ、私はこの人と境界線をうまく築けていなかったから、
変な風に相手の気持ちを取り込んで、そこに応えようと無意識でしてたんだ、と気づき、
自分のしたいこと、ができていなかったから、ずっともやもやしていたんだ、と分かったのです。
まあ、相手への共感性とか、感応する力とか、いい面もあるだろうけど、
そこが自分の弱点にもなりえるんだな、って思います。

そして、それぞれの人形になって、
「何を言いたいか」「何をしたいか」を感じて言葉にしてゆきます。

操り人形は、
「やりたいことも、言いたいことも、あるはずだけど、もはや何も感じられない」
黄色い人形は、
「この人(木の人形)が離れてしまわないか、とても不安で怖い」
「(相手を操ることを)私だってしたくないけれど、どうしたらいいか分からない」
と感じていました。

これらはもちろん、あくまで私が感じたこと。
実際に、黄色い人形=私が思い浮かべた人物、がそう感じている、そう思っている、
というわけではないと思う。
ただ、こうして、箱庭を作って、いろいろと客観的に見えたことで、
今まで自分には持ちえなかった、自分では気づけなかった視点を新たにもつことができたと思う。
それが、現実にどんな変化を起こすのか、起こさないのか、は、
また後日、降りかえって見たいと思います。

ちなみに、大きな木の上には鷲がいます。
これは、なんとなく父親のイメージでもあり、自分のイメージでもあるんだけど、
ほんとは、この箱庭全体を見渡すように、空を飛ばせたかったものでした。
で、セラピストさんによると、そういう俯瞰的な、客観的な視点も持てている、ということでした。

あと、まだまだ面白い気づきはあったんだけど、大きなところはこんな感じ。
箱庭療法、機会があったら、コンスタントにやってみたいなーと改めて思いました。