平和への願い | 市原市 断捨離®トレーナーREIKOのブログ

市原市 断捨離®トレーナーREIKOのブログ

アラカンですが、腕白な小学生のお母さんです。50代で始めた子育ては余裕が無くて辛い毎日でしたが、断捨離に出会って、不要なモノを手放していったら、空間と心に余裕が生まれて、子育てが楽しくなりました。今は、その空間を美しくクリエイトしながら、ごきげんな毎日です。

やましたひでこ公認

断捨離®トレーナー

赤薔薇梶浦玲子ですピンク薔薇

 

 

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ありがとうございますピンク薔薇

 

 
 
3泊4日のトレーナー研修が
終わりました。
 
その帰り道、知覧にある
知覧特攻平和会館
立ち寄りました。
 
 
同期の木村トレーナーは、
どうしても知覧に行きたい!
という思いでしたが、
 
私は、行っても行かなくても
どっちでも…、という曖昧な
気持ちで同行しました。
 
 
それなのに会館に入ったすぐの
場所に展示されていたボロボロ
の戦闘機が目に入ると、その場
の「気」に圧倒されてしまいま
した。
 
腐食もみられる残骸に悲しみや
誇らしさ、苦しみ、悔しさ、
潔さと…様々な感情が私の心に
浮き上がってきました。
勇壮であり清廉であり、
切ないほど愚昧でもあり、
 
これが私の特攻に対する思い
なのかもしれません。
 
 
 
館内は写真撮影が禁止でした。
フリー素材のイラストをお借
りしました。
 
 
次の部屋に移動すると特攻隊員
達が書いた沢山の遺書が展示さ
れていました。
 
母への感謝、そして、
自分は笑って征くので泣かない
で下さい。と。
 
20代前後の若者の言葉です。
美しい字で綴られていました。
 
 
婚約者に宛てた遺書に書かれた
言葉が今も頭に残っています。
 
会いたい、話したい、
無性に。
 
婚約者の幸福を願う言葉が書か
れていました。
そして、最後に婚約者が明るく
朗らかに暮らせるように願い、
自分も、朗らかに笑って
征くと書かれた言葉に切なく
て涙が止まりません
今も(恥ずかしながらも)泣きな
らブログを書いています。
 
遺書の中には彼の読みたい本が
いくつか書かれていました。
 
その中の「万葉集」があり、
見知らぬ青年を偲んで、これか
ら読もうと思います。
昨日家に帰ると、夫の机の上に
万葉集が置かれていたので、
不思議な縁を感じています。
 
彼の読みたかった本のタイトル
を全部は覚えていませんが、
「道程」がありました。
 
きっと高村幸太郎の詩?だと
思います。
 
 
道程 ー高村光太郎ー
 
どこかに通じている大道を

僕は歩いているのじゃない

 

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

道は僕のふみしだいて来た足あとだ

だから

道の最端にいつでも僕は立っている

 

何という曲がりくねり

 

迷いまよった道だろう

自堕落に消え滅びかけたあの道

絶望に閉じ込められたあの道

幼い苦悩にもみつぶされたあの道

 

ふり返ってみると

 

自分の道は 戦慄に値する

支離滅裂な

また むざんなこの光景を見て

誰がこれを

生命の道と信ずるだろう

それだのに

やっぱりこれが生命に導く道だった

 

そして僕はここまで来てしまった

 

このさんたんたる自分の道を見て

僕は自然の広大ないつくしみに涙を

流すのだ

 

あのやくざに見えた道の中から

 

生命の意味を はっきりと

見せてくれたのは自然だ

僕をひき廻しては 目をはじき

もう此処と思うところで

さめよ、さめよと叫んだのは自然だ

これこそ厳格な父の愛だ

 

子供になり切ったありがたさを

僕はしみじみと思った

 

どんな時にも自然の手を離さなかった僕は

とうとう自分をつかまえたのだ

 

丁度そのとき事態は一変した

 

にわかに眼前にあるものは光を放射し

空も地面も沸く様に動き出した

そのまに

自然は微笑をのこして僕の手から

永遠の地平線へ姿をかくした

 

そしてその気魄が宇宙に充ちみちた

 

驚いている僕の魂は

いきなり「歩け」という声につらぬかれた

 

僕は武者ぶるいをした

 

僕は子供の使命を全身に感じた

子供の使命!

 

僕の肩は重くなった

 

そして 僕はもうたよる手が無くなった

無意識にたよっていた手が無くなった

ただこの宇宙に充ちている父を信じて

自分の全身をなげうつのだ

 

僕は はじめ一歩も歩けない事を経験した

 

かなり長い間

冷たい油の汗を流しながら

一つところに立ちつくして居た

 

僕は 心を集めて父の胸にふれた

 

すると

僕の足はひとりでに動き出した

不思議に僕は ある自憑の境を得た

僕は どう行こうとも思わない

どの道をとろうとも思わない

 

僕の前には広漠とした 

岩疊な一面の風景がひろがっている

 

その間に花が咲き水が流れている

石があ 絶壁がある

それがみないきいきとしている

僕はただ あの不思議な自憑の

督促のままに歩いてゆく

 

しかし 四方は気味の悪いほど静かだ

 

恐ろしい世界の果てへ 行ってしまうのか

と思うときもある

寂しさは つんぼのように苦しいものだ

僕は その時また父にいのる

父はその風景の間にわずかながら勇ましく

同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる

同属を喜ぶ人間の性に僕はふるえ立つ

声をあげて祝福を伝える

そして あの永遠の地平線を前にして 

胸のすくほど深い呼吸をするのだ

 

僕の眼が開けるに従って

 

四方の風景は その部分を明らかに僕に示す

生育のいい草の陰に小さい人間の

うじゃうじゃはいまわって居るのもみえる

彼等も僕も

大きな人類というものの一部分だ

 

しかし人類は無駄なものを棄て

腐らしても惜しまない

 

人間は 鮭の卵だ

千萬人の中で百人も残れば

人類は永遠に絶えやしない

棄て腐らすのを見越して

自然は人類のため人間を沢山つくるのだ

 

腐るものは腐れ

 

自然に背いたものは みな腐る

僕はいまのところ彼等にかまっていられない

もっとこの風景に養われ

育まれて

自分を自分らしく伸ばさねばならぬ

子供は父のいつくしみに報いた気を 

燃やしているのだ

 

ああ

 

人類の道程は遠い

そしてその大道はない

自然の子供等が全身の力で拓いて

行かねばならないのだ

歩け、歩け

どんなものが出てきても乗り越して歩け

この光り輝やく風景の中に 踏み込んでゆけ

 

僕の前に道はない

 

僕の後ろに道は出来る

ああ、父よ

僕を一人立ちさせた父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため

 
私の父と同年代の彼は、その後
を生きていたら、どんな道程を
歩んだんだろう?
 
 
何故、戦争は止められなかった
のだろう?
 
始めたものを手放す勇気を持つ
ことの難しさを私は知っていま
す。
断捨離®を学ぶまで、一度手に
入れたモノ、始めたコトを手放
すことは難しかったから。
 
でも、今は潔く手放せるように
なりました。
 
決定権のある誰かが、無意味な
戦争を手放す勇気を持てたなら、
悲劇は早く幕を閉じることがで
きたのにと悔やまれます。
 
やっぱり断捨離®を広めること
は世界平和に繋がる!んだ!!
と再度確信しました。
 
 
終戦の2日後に「できるだけ長
く苦しんで死ぬ」と介錯もつけ
ずに切腹した「特攻の父」と
言われた大西瀧治郎の遺書の
最後に書かれていた言葉↓
 
日本の民族の福祉と人類の
平和の為に最善を尽くせよ
 
 
日本を守ろうと、戦争で命を落
とした特攻隊員をはじめ多くの
人達の遺志を継いでいこう!
と改めて思いました。
 
今の私が出来る世界平和の為の
行動、それは、
断捨離®を多く人に知って
実践してもらうことです!
 
 

いつもブログをごらん

下さって、

ありがとうございます。

 

初めての方も、

久しぶりの方も、

ブログを訪れて下さって

ありがとうございました。

 

 

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