これは、「実家から半端ない食料が出て来た件」、「実家から半端ない食料が出て来た件...の続き」の更なるその後です...

 

 

 翌2017年5月、オーストラリアから実家の掃除に行った。

 

 父の冷蔵庫の食品の数は...相変わらずだった。(想像通り😅)

 

 冷蔵庫と、冷凍庫の中には、半年前と同じ食品が幾つも残っているのに、更にまた同じ物を買っている。

 という事で、私は冷凍庫と冷蔵庫の、著しく賞味期限が切れたものを処分し始めた。


 当然、父は怒る。

 

 

私:「せやかて半年前に約束したやんか?もともとは1年半前にお父さんと一緒に必要な食料の数を計算したやろ?このリストがあれば、分かり易いから良いな、って言ってたやん?」

 

父:「...」

 

私:「去年私聞いたよね?半年あれば、冷凍庫も冷蔵庫の物も、十分食べられるよね?って聞いたよね?お父さん、『出来る』って返事したやろ?」

 

父:「...」

 

 父は無言のまま、私が冷蔵庫を掃除するのを暫く台所に立って見ていた。

 

 そして、ポツンと言った。

 

 

父:「......もしかしたら、お前の言う通り、どこかおかしいのかも知れないな...」

 

 

 初めて、父が自分の矛盾に気付いて、それを口に出した瞬間だった。

 

 自分の問題に気付いた時、人は自分がどうするべきかを考える。

 言い訳をするのは簡単。

 相手のせいにすればいい。

 でも、それでは自分は変われない。

 

 変われない=成長出来ない、という事。

 

 人が精神的に成長する時、必ず自分を見つめ直す。

 

 

・     何が悪かったのか?

 

・     何でこうなってしまったのか?

 

・     問題解決をするにはどうしたらいいのか?

 

・     私はどう行動するべきなのか?

 

 

 父はこの瞬間まで、家族の前で自分が「おかしい」と認めた事はただの一度も無かった。

 

 多分、生まれて初めて「自分がおかしいのか?」と思った瞬間だったのだと思う。

 

 

 父にとっても、私にとっても、この一言が発せられた瞬間は大きかった。(と、今でも私は信じている)

 

 

 この父の言葉を聞いた瞬間、すかさず私は、父に『発達障害』の話をした。

 

 娘のアリスが発達障害のADD(注意欠如障害)とLD(学習障害)を持っている事。

 それで小学校3年生を2回やった事。それでも成績は下だった事。

 でも、それは生まれ持ったもので、本人の自覚とトレーニングで改善出来るものである事。

 実際にアリスは自分の『発達障害』を認識していて、普通に生活努力をしている事。

 そして、父自身に『アスペルガー症候群』という発達障害の兆候がある事等々。

 

 認知症でないとすれば、少なくとも、父の「おかしな」行動や言動が何が原因で起こる事なのか、それを知る事で、父も私も対処の仕方が分かるかも知れない事などを説明した。

 

 そして父は、半年後に私と精神科を受診する事を承諾した。

 

 その半年後の精神科の最初の検査では、『アスペルガー症候群』ではない、返ってIQなんかは年齢の割に高い方ですと言われた。 (この時、実はチョット日本の精神科の水準を疑った...)

 

 その後、30分間の家族で父の生活の問題を精神科医と臨床心理士の前で話した。

 そして、役一ヶ月後に精神科での診断は下りた。(「おかしな家族」編で詳しく書いてあったが、ここでは省く)

 

 

 父は、何かしらの発達障害に起因する性格の問題だった。

 

 そしてこの診断が下った後、父は僅かに変化を見せた。

 

 自分に問題がある事を医者から指摘され、『自分に問題がある』という現実と『いや、俺に問題は無い』と思う心の狭間で、ジレンマに陥っていた。

 

 電話で、

 

父:「医者が言ってた俺の性格の問題って言うのは、いったい何なんだ?」

 

と私に聞いてきたこともあった。

 

父:「一体どうすれば治るんだ?」

 

と聞いた事もあった。

 

 何とかしたいという気持ちは、当時の父には確かにあった。

 

私:「カウンセラーも医者もお父さんの問題は治せない。治せるのはお父さん自身。でも、お父さんが本当に自分を変えようと思うなら、私はお手伝いは出来る。でも、私はお父さんを変える事は出来ないから。...変えられるのはお父さん自身だから。」

 

そう電話で、何度も父に言った。

 

 

 実際、この時期、結婚してから初めて母に、


父:「ありがとう」 


と言った。(母は電話で嬉しさ一杯の声で教えてくれた)

 

 父は、本当に僅かだが、変化を見せていた。

 

 私も、母も、我が娘も、喜んでいた...。

 

 

 気付いていなかったのは...他の家族だった。

                                          

 

 他の家族は、私や母の言う事より、精神科で問題ありと言われた父の言う事を真に受けて、私の行動に非を唱え始めた途端、父は、私の言う事に耳を貸さなくなった。

 

 自分の行動や言動に疑問を持つ事もしなくなった。

 

父:「お金が無いんだったら、わざわざ掃除に来なくてもいい」

 

とまで言うようになった。(孫娘に、毎年会えるものなら会いたいと言ったのは、父本人である。2013年から汚れ切った実家を掃除して来たのは、母と私なのに?お金の援助を最初に申し出たのは、父本人なのに?)

 

 

 私は、父のこんな「Bull shit (誠意が無い発言)」は、精神的な「父の問題」から来ているので、聞き流せる。

 

 だが、他の家族の「Bull shit」は、もうこれ以上は聞かない。(PTSDが悪化する)