半年間の英語学校でのコースを無事修了し(高校準備コースという名前でしたが、要するに英語学習でした)、決めた高校に編入したのが、1999年4月。
4学期制の2学期にあたる4月編入でした。
環境を変えたくて、今まで住んでいた場所から更に郊外の学校を選びました。
選んだ理由は他にもあり、そこに既に日本人の友達が行っていたことが大きかったです。
学校見学も事前に行ったのですが、その時はMiddle School(中学から高1)の校舎しか連れて行ってもらえなかったんですね。
で、小さい学校で好印象でしたが、もしこの時点でシニア(高2と高3)の施設も見学してたら、この学校は選んでいなかったと思います。
というのもそこだけ中華系の留学生ばっかりで、完全にローカルの生徒と分かれて行動していたんです。
私が望んでいたのは、ローカルの生徒との交流でした。
今にして思えば、誰と付き合うかなんて自分次第でなんとかなっただろうし、私学のわりには?なかなか荒れた子が多かったので、逆にそれがよい人生経験になりましたが、当時は入学後後悔しました。親に転校したいと言ったらまた逃げるのかみたいな言い方をされて諦めました。
ところで最近聞いた話ですが、オーストラリアは州によっては高校留学、つまり未成年の留学生の受け入れをしないそうです。自分が最初に行ったのがVictoria州のメルボルンだったのですが、てっきり全国共通かと思っていました。
植民地時代の流れで、オーストラリアが州ごとにかなり独立した政権や教育機関の内容があることなんて、もちろんこの頃の私は全く持って知りませんでした。
この時代はEmailの使用が始まり、日本で電話するのはコレクトコールの時代でした。手紙は一番安いエアログラムなんてのがありました。日本は遠い遠い国でした.....。