正直、この世からおさらばしたいと思ったことは何回もある。
でも、なんだかんだでおさらばせず今も生きてる。
おさらばしたいと思っていたのは本当の本心ではなく、
本当は【生きたい】から今までも生きてきたし、生きてこれたんだと思う。
過食嘔吐が長年続いていた頃は特に絶望でしかなかったし、
自分は【過食嘔吐持ち】
ということに何もかもの明るいことが考えれなくて、
『摂食障害・過食嘔吐』
という自分が背負ってることが辛くて悲しくて、やめたくてもやめれなくて、
過食嘔吐したくない、でもせずにはいられない、
過食嘔吐無しでは生きていけない、そんな自分が嫌だった。
でもね、じゃあなんで消えたかったのに消えれなかったかってことを考えてて、
過食嘔吐してる自分に絶望しながらも生きてこれたかっていうのをちゃんと考えてみたら、
❝過食嘔吐のおかげで生きてこれた❞
っていうのがあったんだ。
過食嘔吐で消えたくなった、でも過食嘔吐があったからこそ生きてこれた、
矛盾してるかのようで矛盾してない、
じゃあなんで消えずにここまで生きてきたのかは、
『私は過食嘔吐してまで本当は生きたかったんだな』
って。
それが分かった。
過食嘔吐してることで消えたいと思った、
でもその裏返しは、
“”過食嘔吐してまで生きたいと思った“”
からだったんだって。
私、本当は消えたいんじゃない、
生きたいんだ。
生きて生きて生きて、❝自分❞という一人の人間としてこの世で【生きていたい】
その思いが本心で強かったから、
だから『生きる』を選び続けてきたんだ。
過食嘔吐してるから消えたいんじゃない、
過食嘔吐してまで生きたかったんだ。
自分の弱い精神や考え方などではこの世で生きるのは生き辛いと感じ始めてきた頃から過食嘔吐をするということで気持ちを誤魔化し続けていた。
過食嘔吐無しでは生きていくことは耐えられなかった。
生きていたいという思いは強かったけど、
過食嘔吐無しでは生きるのが私には難しかった。
だから過食嘔吐に頼りながら生きてきた。
生きる手段として、過食嘔吐に頼ることを選んだのは他でもない私自身だ。
消えたくて過食嘔吐になったんじゃない、
生きたいから過食嘔吐に頼ってたんだ。
消えたいことが本心だったら、きっと今まで生きていない。
それでも私は今まで生きてこれたのは、本当の本心である【生きたい】という気持ちが強いから、
今も私は生きてるし、生きていたい。
私は消えたいんじゃない、生きていたい。
少しでも長く生きて自分という人生を謳歌したい。
やがて自然に寿命が尽きるまで。
強制的には絶対に終了させたくない、
生を受けてきたのだから、この世で沢山のことを楽しみたい。
何度も過食嘔吐に絶望した、過食嘔吐してる自分に終わりを付けたくて自ら消えたいと思った、
でも、その考えは間違っていた。
過食嘔吐してるから消えたかったんじゃない、
過食嘔吐してまで自分は生きていたくて、生きていたくて、
消えたくなくて、どうにか生きる方法を日々考えながら過ごしていたんだ。
だから、過食嘔吐を悪者にはできない。
むしろ私の【生きたい】という本心と本能の手助けをしてくれたいたんだ。
そう、私は生きたいんだ。
摂食障害は自分の生き辛さを教えてくれる。
そんな言葉を昔何かで読んだことがある。
まさにその通りだと感じた。
過食嘔吐への考え方が今はガラリと変わった。
今でもたまに来る過食衝動に対処するのは大変だなと感じてるのはあるけど、
でも、今はこう考えるようにしてる、
“”ああ、生きたいから過食衝動が来るんだな“”
って。
この考え方は私の考えなのであくまで一個人の思いなので皆には当てはまらないと思うから悪しからず。
今はね、過食衝動が来ると【生きたいから過食衝動が来るんだな】
って、そう考えるようになると少し冷静になって、
なんだか自分という人間を客観視してるような感じになって、
気持ちを落ち着かすことができて、過食衝動が治まることがある。
そう考えることで気持ちをリラックスさせることができて、
『過食以外で気持ちを落ち着かせる方法を探していこう』
って、気持ちにゆとりが生まれて前向きに考えれるようになったんだ。
過食嘔吐で辛かったこと数え切れないくらいあった。
一方で過食嘔吐のおかげで沢山の笑顔になれることも数え切れないくらいあった。
それは過食嘔吐してる自分が笑顔になれた、という意味ではなく、
過食嘔吐することでまた命を繋ぐことができて、
日々すごしていくうちに良い事にもめぐり合えたり、楽しいと感じる経験も沢山できたから、ということ。
そう考えるとね、過食嘔吐って悪いことじゃないって本当に思うんだ。
『過食嘔吐』だけに注目すると、『過食嘔吐しない方がいい』
ってなるけど、
そうじゃないんだよね。
本人、少なくとも私という人間にとっては過食嘔吐することで救われてきたこと沢山あったし、
むしろ、過食嘔吐のおかげで今があるし、今まで生きてこれたし、
楽しいと感じることにも出会えたりしたし、人生潤う経験もできた。
私が過食嘔吐に頼ったのは自らの選択。
そしてそれは辛く悲しいことだけではない。
でも、過食嘔吐を称えたり、“”した方が良いもの“”
とは全く思ってない。
もちろん推奨してる訳でもない。
あくまで私にとっての生きる手段だったってことで。
しなくていいならしない方がもちろん良い。
だから今、過食嘔吐せずに生きていける生き方を模索中。
いずれは過食嘔吐と完全にお別れするのが今後の人生の目標。
私は自分という人間を自分で幸せになりたい、そしてそんな生き方をしていくことを目指してて、
その思いが強くて前を向いて歩けるようになってきてる。
だから、私は、生きるんだ。