こないだ過食衝動が襲って来て、どうにも治まらなかったから久々に過食嘔吐した。

 

原因は色んな環境変化などのストレスや疲れかな。

 

予定していたことなどがいきなり変更になったり、したいと計画していたことができなくなったりなど、

 

その時は仕方ないと思っていたけどそういったことの小さな積み重ねでなんだかいつもモヤモヤとイライラがあって、

 

落ち着かなくなるというかソワソワした感じになってた。

 

その時にこのモヤモヤを解消したい!って思った時になんだか食べまくりたい感が押し寄せてきて、

 

あ、これは過食衝動だ、、、

 

って冷静に受け止めてた。

 

何日か考えてみたり、過食衝動が治まるのを待ってはみたんだけど、治まるどころか心身が過食嘔吐に癒しを求めてる感じで、

 

もう、これは一旦諦めて過食嘔吐しようって思った。

 

昔みたいに過食材を買いまくってすることは全盛期よりなくなってて、

 

過食材を買う時も吟味して買うというか、どこか冷静で落ち着いた気分で買ってるという、

 

昔手当たりしだい買いまくっていた時とは違う過食材の買い方してる。

 

量もすごく詰め込みたいわけでもなく、

 

というのもあるけど、昔みたいな大量の食べ物がそもそも胃に入らなくなってるから、

 

過食材もそんなに買う必要もなくて、

 

パンなら3個とか、揚げ物とかも二個くらい、パスタなんて一人前も食べれない。

 

それでもいつもとは違う多い量を食べて、リバース。

 

過食してる時もリバースしてる時も冷静になってて、なんで過食してるのかとか、

 

なんでモヤモヤが消えなかったのかとか考えて学びにしようとしてる。

 

過食嘔吐した後はスッキリ感もありつつ、

 

なるべく過食嘔吐に頼らなくてよくなる思考にしないとな、と思ってる。

 

で、次の日、朝起きた時、なんだか体がだるい感じになってる。

 

すぐ疲れるような感覚もあるし、

 

身体の節々も痛くて、よく言う【体が重い】感覚がよくわかる。

 

仕事は超肉体労働で日々も結構体力使ってしんどいんだけど、

 

過食嘔吐しなくなってから体が快調になって全然しんどさを感じることなく軽やかに動けるようになってたことを思い出すと、

 

過食嘔吐ってほんとにすごい身体への負担が大きいんだなあって実感した。

 

何をするのも体がしんどくて、いつもは軽くこなせている作業がすっごい辛く感じてすぐ疲れる。

 

集中力も続かなくて一日がすごい長く感じた。ああ、早く帰って休みたいなあって、頻繁に感じてた。

 

過食嘔吐しなくて日々仕事してる時は体がしんどいとか、動かしづらいとか、一日が長く感じたり億劫に感じることもなかった。

 

過食嘔吐毎日してた頃は不調が当たり前になってたから麻痺してたから気付かなかったけど、

 

いつも心身が重くて怠くて辛い状態で仕事してたり日々を生活してたんだなって感じる。

 

そして、そりゃそんな心身でいたら増々イライラするし、いつも情緒不安定になるし、

 

またそれで過食嘔吐してこの心身の不調を過食嘔吐で紛らわしたくなる思考になってたんだなって、

 

改めて過食嘔吐の心身へのダメージが相当大きいことを実感した。

 

過食嘔吐しないようにしようって決めた約1年半前、正直過食嘔吐に頼らずに日々を過ごしていくことができるのだろうか、

 

と不安な気持ちはあったけど、

 

明らかに体が軽くなることを実感してから、そういったメリットからも過食衝動がこなかったり、

 

身体が快調でいることがどんなに楽で楽しくて、毎日気分爽快でいられることかを感じていたことで過食嘔吐したい気持ちも減っていったのもあった。

 

過食嘔吐のメリット、デメリット、双方沢山ある。

 

でも、過食嘔吐しないメリットを考えると過食嘔吐することへのデメリットが嫌になって、

 

『過食嘔吐<過食嘔吐しない』

 

という考えになることが増えた。

 

とは言え、私はまだ過食嘔吐に絶対に頼らないとか絶対にしないと決めてないし、

 

これからも過食嘔吐に頼りながら日々考え、生きていく。

 

絶対にしないって決めることがいいと思ってないから。

 

【過食嘔吐とうまく付き合う】

 

ある意味ゆるーく考えてて、そうやってこれからも過ごしていく。

 

これが私、私の人生であり、生き方。

 

そして、先のことをそこまで深く考えない。

 

とりあえず、「今」という時間を自分なりに過ごしていく。


5月カレンダーの格言。

そう、まさに、

『自分なり』の最善を尽くしたならそれが一番良いのだ。