毎日過食嘔吐していた過去は過食嘔吐したら全てがダメで、めちゃくちゃ我慢してしてしまくって過食嘔吐を一日しなかった日は全てが○にしてて、
やったー!!今日は過食嘔吐しなかった!!
すごい私!!これで『フツー』の人と同じになれたんだ!!
なんてこと思いながら過ごしていた。
一日を過ごしていてそれなりに楽しいことや嬉しいことも沢山あったんだと思う、
でも摂食障害、過食嘔吐になってから生きてることの全てを過食嘔吐のことばかりで思考を占め、
食べるか吐くか、
そして過食嘔吐することを悪、だという考えだったから、
どんな良いことや楽しいことがあっても一日過食嘔吐したことに目を向けて、
過食嘔吐した日、としてその日全てがダメになって、
同時に過食嘔吐した自分をダメ人間という考えに陥っていた。
だからこそ、過食嘔吐をしない日を一日でも作れた日はその日はどんなに嫌なことがあってたとしても
『すごくいい一日』
として考えていて、過食嘔吐しなかった自分を『私ってフツーになったんだ』
とかって考えていてなんかハイテンションになっていた。
今思えばその思考こそが自分を苦しめていて過食嘔吐がずっと長引いていたんかなって感じる。
今過食嘔吐をしていない状態になっている日々を過ごしてる中、色んな見方や考え方が変わる中で、
今なぜ過食嘔吐していないのか、ということを色々要点を考えてみたら、
その理由の一つに
『過食嘔吐したらダメ人間で過食嘔吐しなかったら素晴らしい人間』
という概念が全くなくなってることだった。
全くといっていいほど過食嘔吐していないわけではなく、
たまに色んなストレスなど溜まった時、なんだかイライラやモヤモヤが来てどうしても抑えきれない状態になることが何カ月かに一度来ることがある。
その時思い浮かぶことがこれが摂食脳だな、と思うんだけどその解消法が今のとこ『過食嘔吐』しかなく、
その時は過食嘔吐に頼る。
でも昔のように過食嘔吐したからダメ人間とかって全く感じていない。
むしろ、過食嘔吐したいという気持ちになるっていうことに対して何が原因だったのかしっかり考えることができるようになって、
色々と過去の自分を振り返って反省するキッカケとなり、
次に繋げることができるようになったからだ。
昔と今の過食嘔吐に対する自分の見方が180℃変わったことで過食嘔吐の頻度が少なくなってって思う。
今は過食嘔吐したいって衝動が来た時こそ、自分を見つめ直すいいチャンスだと感じてる。
で、しても絶望したりとか×もつけてない、
今日一日色々あった中で過食嘔吐っていう一つの出来事があっただけで、
他に沢山良いことがあったことに目を向けることができる。
過食嘔吐が自分の全てではなくなったからだな。
過食嘔吐に支配されなくなったからこそ、頻度が激減したんだと思う。
過食嘔吐=悪、
しなかったら=良
という思考だった頃はそれこそが過食嘔吐したい気持ちがずっとなくならなかった要因の一つだとも思ってる。
今、過食嘔吐しても罪悪感とか落ち込みとかないのはなぜなのか、
それは過食嘔吐に『助けられた』という感謝の気持ちすらあるから。
実際にどうしようもないモヤモヤやイライラを解消してくれる手助けをしてくれたし、
でもだからといって頻繁には頼らないし必要ない。
どうしても困った時だけ助けてくれる救世主だとも思ってる。
それまでは自分でなんとか頑張ってみようっていう、自分で自分を見つめるキッカケをくれてることにも気付いたから。
過食嘔吐をやめたり、したくなくなる気持ちを抑えたり消す方法って人それぞれ違うけど、
私は『過食嘔吐は×、しなかったら○』
という思考や概念を無くすことかなって、自分という人間にはそれが良いようだ。