過食嘔吐していた頃は毎年クリスマスにはチキンとケーキを買って過食嘔吐してた。
クリスマスと言えばご馳走、チキンとケーキ。
という昔からのイメージからチキンとケーキを食べたくなってた。
でも、摂食障害からちゃんと食べれなくて、食べると言っても過食嘔吐前提でしかなかった。
ほんとはおいしいチキンとケーキを過食したいわけでも吐きたい訳でもない。
でもちゃんと食べれない、でもせっかくのクリスマスだからチキンとケーキを食べておきたい、
でも食べれないから食べて吐く、
という感じだった。
こういうところも摂食脳が強く働いていた。
だから食べることに執着していた。
そうやって、とりあえずクリスマスはチキンとケーキを食べたはいいが、吐くこと前提なのでいい思い出もなく、
良かった、ケーキとチキン食べれて。
という反面、
ああ、また今年のクリスマスもちゃんと食べれなかったなあ、、、
という無念さでいっぱいで、結局惨めな気持ちになっていた。
今、過食嘔吐しなくなってから、思考が変わった。
クリスマスだからといって、ケーキが食べたいか、チキンがそんなに食べたいか、
と自分に聞いても、素直な気持ち、そんなに食べたいとも思わないし、
すごーく絶対に食べなきゃ!!
っていう気持ちにもなってない。
別に今食べなくてもいいか、
という感じ。
チキンもケーキもクリスマスだけに販売されるものでもない、
食べたくなったらいつでも食べれる、
ほんとに食べたい時に食べるのでいいか、
っていう気持ちになってる。
今はクリスマスにご馳走を食べることよりも、
フツーにフツーの安定した気持ちで何でもない日常を過ごすことが一番幸せに感じてるから、
クリスマスとかのイベントに振り回されることもない。
無理矢理ご馳走を食べて過食嘔吐して、自己嫌悪に陥るような過ごし方をするんじゃんくて、
本当に自分が心から喜ぶ過ごし方をしようっていう脳の思考になってるのが現在。
だから、クリスマスは特別に自分へのご褒美として、普段は躊躇していた欲しかったものを自分へのクリスマスプレゼントとして買って、自分を喜ばせようっていう気持ちから、
クリスマスプレゼントを自分のために買った。
すごくワクワクウキウキして、すごく嬉しくて満足した。
チキン食べたい、ケーキ食べたいという思いになっていたのも、
摂食障害からの摂食脳がそうさせていたんだなあと気付く。
とにかく食べることに執着する。
食べること以外の楽しみ方や方法がないと思ってしまっている。
クリスマスだから、お正月だから、ハロウィンだから、節分だから、、、
などの一年中ある数々の行事食に過剰なまでに敏感だった過去。
食べること、という思考が離れなかった。
今は行事食も無理に食べようとか、素直な自分の気持ちに従ったら、
実はそんなに食べたいものでもないことも分かった。
だから今は行事食も無理に食べることはない。
出されたら食べなくもないけど、それは有り難く美味しく頂いてそれで満足する。
その時の行事には食べたくなくても、ふと何でもない日に行ったお店で食欲そそられて食べたくなる時は
行事食関係なく買うし食べる。
これがいいんだと感じた。
食べる、食べないに拘らず、自分が常に心地いいと感じるまま、
そういう感性でいいんだと思う。
つまりは嫌なこと、無理なこと、したくないことはしないということ。
行事食だからって無理に食べなくてもいいし、食べたくないなら食べなくてもいい。
でも食べたくなったらその時に美味しく食べる。
摂食脳が薄れ始めてから段々と自分の素直な気持ちや心の声が分かってきてるうように感じる。
食べることだけが全てじゃない、
本当に自分がしたいこと、心地いいと思うことに目を向けてその思いで行動していく。