過食嘔吐していた時代はイライラや不安など感じた時はすぐに過食嘔吐でしか発散法がなかった。
常に何かしらイライラしてたし、家でゆっくり過食してる時間が至福の時でもあった。
イライラした、疲れた、ストレス溜まった→過食嘔吐、っていう流れ。
イライラしていない時なんてないから毎日過食嘔吐することでしかその気持ちを鎮めることはできなかった。
イライラするから過食嘔吐するのか、過食嘔吐するからイライラしていて不安定なのかも、
もはや卵が先か、鶏が先か状態だった。
このいつも不安定でたまらないモヤモヤを忘れさせてくれるが唯一過食嘔吐だけ、と信じてやまなかった。
だから過食嘔吐に依存していた。
このストレスを解消してくれるのは過食嘔吐しかないから、過食嘔吐なしでは生きて行けない、、、
でも過食嘔吐を毎日していたら過食嘔吐によって身を滅ぼしてしまう、
っていうまた更なる不安に襲われて、
で、その不安を消すために過食嘔吐する、、、
という無限の負のループしかなかった。
今、過食嘔吐を自然にしなくなっていってから、イライラや不安などのストレス対処法は、
というより、過食嘔吐しなくなっていったのはそれまでの自分を苦しめていたガチガチの思考を変えていってからなんだけど、
そうやって自分を柔軟に考えられるようになってから、昔は些細なことやどうでもいいことで不安になっていた思考がなくなっていってるのもあって、
めちゃくちゃイライラするとかいきなり鬱っぽくなる、とかそういう情緒不安定な状態であることがなくなっていってた。
とはいえ、イライラすることや疲れたと思うことはある。
でも、昔のようにそのイライラや疲れなどを過食嘔吐で発散させようっていう思考が全くなくなってる。
無理矢理過食嘔吐しないように持っていってるんじゃなくて、
ああ、なんかイライラしたなあ、、疲れたなあ、、、
と、感じたら、
家に着いたらゆっくりお風呂入って部屋で休もう、
とか、
明日は休みだから図書館行って本借りてダラダラしよう、
とか、
自然に本当の意味で自分が休息できるストレス発散法に『~したい』
と感じるようになってる。
で、そこに過食嘔吐の選択肢があったとしても、
過食嘔吐を選択することは絶対になくて、むしろしたくない。
するとよけいに疲れるしまた鬱っぽくなる。
過食嘔吐することが不快だと心底感じてるから、心身がもう過食嘔吐を求めていない。
過食嘔吐でイライラや不安が解消されるとはもう全く思ってなくて、心身が感じなくなってるから。
イライラやストレスの発散法は自分の心身を心から労わる方法でリラックスしてちゃんと休息を取ること。
今の私にはこれができてきてる。
過食嘔吐でしか解消できないと思い込んでいた過去の自分。
その体験があるからこそ、今フツーに過ごしてる時間をより一層幸せに感じることができてる。