過食嘔吐全盛期の頃は稼いだ給料を全て過食費や医療費など、過食嘔吐によって伴う出費で全て一カ月で使い果たしていたから、
マイナスになっていなかっただけで、給料日前までは本気で残高ほぼゼロ円だった。
これ、ほんとのほんと。暴露話。
ほんとはどこか預金口座にはちゃんと貯金したお金があって、それには手を出さないでいるだけ、
というわけでもなく、30過ぎてからもリアルに本気で貯金なんてものはなく、
リアルに過食費だけで使いきってて、貯金なんて一円もなかった。
100円あれば、それすら過食費に当てていた。
毎日が死活問題だった。
過食費はとにかくお金がかかる、でも当時、毎日でも過食嘔吐をしないと気が狂いそうな状態だったので、
給料日前になると過食費が満足にないことから、一日で使える金額を計算したり、
とにかく安い食材を買い求めて過食してた。
お金がなくなるから今日は過食しないでおこう、
なんてことが本気でできなかった。
最低でも毎日一回はしないと、過食嘔吐しないことこそがまたイライラして不安定感を増していた。
多分しなかったらしないで、次の日に前日しなかった分を取り戻すかのように倍以上過食しまくってたと思う。
過食費がいつもないことに怯えていたし、その不安やイライラは気が狂いそうなくらい破滅的だった。
こんな状態で毎日を過ごしていたからずっと○にたかった。
ただ過食嘔吐して生きてるだけの人生。
心身ボロボロでどうしようもなかった。
こんな状態、になったのも一つ要素的なものがあって、
20代の頃、過食嘔吐してた時に、お金がリアルになくなっていくことが怖くなって、
お金を使わないようにするために『拒食症』になっていた時期があった。
ただ、フツーの人がお金を貯める、という感覚ではなく、
私の場合は摂食脳がほぼ支配していたのがあって、
フツーにお金を貯める、ではなく、
『過食費をかけたくないからお金は一切使わない』
という、ここでも極端思考のゼロ百からのものだった。
摂食障害からの発端。
だから、他に本当に必要なもの(日用品など)があっても一切お金を費やさず(例えばシャンプーや洗顔料などは親のを使わしてもらう等)
一カ月の給料をほぼ手つかず状態にして過ごしていた。
給料を全て使わない状態にあったから当然お金は貯まる。
もちろん過食費に費やすこともなく、もっと更にいけば、実家に暮らしていたから自分で食料を買わなくても何かしら食べ物はあるから食べ物を買うお金は必要なかったのだけど、
私の場合は摂食障害からの思考で、
『食べたら癖になってまた食べたくなるから食べることをしない』
という思考になり、吐かない代わりに、全くと言っていいほど食べない拒食症になった。
何か一口でも食べたら、また食べたいという欲望が蘇り、そしたらその食べ物を買い求めていくようになる。
そしたらお金を使ってしまうことになる。
当時の私はそれこそ病的なまでにお金を使うことを避けていたため、
必要な物、あるいは100円程度のお菓子などを買うことも嫌だった。
100円も大金ではあるけど、数十万稼いだ給料の中から100円も払うのが嫌だった。
もし100円使ったら、極端思考だった私は、
『あーあ、せっかく頑張って使わないようにしてたのに100円使ってしまった』
という、完璧主義からのイライラが募り、一気に爆発して、ヤケクソになって今まで使わずにいたお金を散財してしまうことになるのが目に見えていた。
だから1円すら使いたくなかった、使わないようにしてた。
でも、貯金額が増えていく反面、そのストレスは膨大なものだった。
お金を使わない、だけではなく、摂食障害の摂食脳をもち合わせていたから、
拒食症からの心身は常に飢餓状態、
頭の中はずっと食べ物のことが回っていて、
いつ爆発してもおかしくない状態だった。
飢餓状態から色んなことに飢えて飢えて、まともな判断がつかなくなりそうなくらいだった。
必要な栄養成分が体に入っていないことに加え、まともに食べていないのだから、見た目もがい骨に拍車がかかって、
どう見ても不自然に痩せすぎた体、
誰がどう見ても異常だと分かるレベルだった。
この頃の私はスーパーでお菓子やパンを眺めては手に取って、
でも食べたくても食べれないから泣く泣く棚に戻して、、、
を繰り返していた。
本当は食べたくて食べたくて仕方なくて、
でも、過食嘔吐に戻ったらお金がかかるからという頑なな強い思いからお金を使うことを拒んでいた。
一カ月分丸まるの給料を使わずにいたのだから当然お金は貯まる。
そんな生活を約10か月くらいしていた。
もちろんその間はずっと拒食症状態。
10か月もすればあっという間に100万以上貯めることはできた。
が、
その分ストレスはものすごいものだった。
10か月経ったある日、それまで我慢していたものがプツっと切れた。
もう我慢できない!!
そうキレてから、そこから坂道を転げ落ちるように一瞬で過食嘔吐に戻った。
約10か月死にもの狂いでストレス溜めながら我慢していた分の反動がすごくて、
もういいや、ってヤケクソになって過食しまくって吐きまくった。
もう止まることを知らなかった。
貯めていた100万以上のお金は一瞬でなくなった。
ほぼ過食費となった。
この過去を思い出す。
当時は必至になって、それこそ死にもの狂いで貯めたお金を一瞬で使いきった自分のおろかさ、そして、
何より、こんな精神状態でいる自分が一番怖かった。
どうしてこんな生き方しかできないんだろうって。
フツーにお金を貯めるってどうやってしていったらいいんだろう、って。
摂食脳が常にある私には一生できないことなのか、と絶望もした。
摂食障害である私は一生口座にお金が3ケタ、4ケタいくことはできないだろうって。
それどころか一桁だってできないのにって。
その悲しかった思いやなぜ『ちゃんと』貯めれなかったのか、今はその過去があったからこそ、
お金についてちゃんと考えれるようになった。
貯金も少しずつ順調に貯めることができるようになった。
ほんとにゼロ100思考だった。
使わないなら1円も使わない、でも使うってなったら見境なくあるだけ使う、
という、本気でダメ人間だった。
この考え方や思考を直していかないといけないと学んだ。
このことがキッカケで、
『節約』
の意味を考えるようになった。
よく目にするけど、
節約=我慢
ではない、ということが本気で今は分かる。
昔、節約するっていうのは、生活切り詰めて、ほしいものも我慢して、
色んなことケチってストレス溜めながら、お金を貯めていくものだと思っていた。
だから節約という言葉に対して、ストレス溜めながらお金を貯めることは出来ないって思っていた。
ストレス溜まるとすぐまた過食したくなるから。
でも、今は節約って我慢ではないって実感する。
節約っていうのは本当に必要な事、モノなどには気持ちよくお金を使って、
でも、本当に必要なものでないものにはお金を使わないっていう、それだけのこと。
何もかも我慢してストレス溜めながらするものではないということ。
これもこないだの旅行で学んだこと。
もし私がこれまでように、ストレス溜めながら、
ただ『貯める』
ということだけを目標にしてお金を貯めていたら、
きっと旅行に行ける十分なお金を貯蓄できていてもお金を旅費に使うことが出来なかったと思う。
貯めることが目標になっているのだから、
貯まったお金の使い道が分からない状態になっていたから。
だから、貯めても貯めてもちゃんと使うっていうゴールに辿りつかない、
だからイライラも募る。
でも、今回旅行に行けたのは、十分なお金があったからでもなくすごく貯金があったからでもない。
貯金は貯金で貯めておいて、
本当に行きたい旅行の費用は給料の中でちゃんと積立てしてやりくりしていた。
生活に必要なものにもちゃんとお金を使って、
でも、今まで無駄になっていたものなどにはお金をかけず、家であるもので代用などできそうなものはそれを使ったり、
若しくは予算オーバーしそうになったら、来月まで我慢できそうなものが我慢したり、
あるのもで済ませたり。
そういったお金の使い方ができつつある。
それによって今までいかに自分が無駄に使っていたか、
それから、『正しいお金の使い方』というのが分かり始めてきている。
ほんとに必要なモノ等の出費は、ただお金が減っていくものでもなく、
ちゃんと自分の生活や自分に対して見返りをちゃんともらえるもの、
それが自分の心を豊かにし、
何にも代えがたい自分への投資や奉仕になっている。
だから、使っていても減らない、みたいな。
使うとこは使うけど、使わないとこは使わない。
だからストレスも溜まらない。
旅費を貯めて使うことは無駄な出費ではなく、自分への投資、ご褒美、心を豊かにするための必要なものだったから、
こないだの旅費で約5~6万出費になったけど、
それは年に1~2回あるかないかくらいのことで、毎月毎月旅行してるわけでもなく、
たまの贅沢。
そして、出費としては約6万くらいだったけど、
それは私の楽しみとしてコツコツ貯めてて、
その楽しみを味わうために、他に節制できるところはストレスに感じずに節約していたから、
そういった無駄に使わなかった費用を積立てしていってた、というものだったから、
実質大きなマイナスにもなっていない。
毎月やりくりしてる範囲内で積立てしてたから、苦労やストレスもなく毎月順調に旅費を貯めることに成功した。
この体験がすごく自信に繋がっていって、
これからも良いお金の使い方をして、
使うとこは使って自分を楽しむための手段として気持ちよく投資して、
無駄なものや必要ないものを考えずに浪費する、なんてことはもうしない。
これからはお金についても学んでいきたい。
そして、今の最大の目標、
『人生を楽しく面白くする』
そうやって生きていきたい。