過食嘔吐しまくって過ごしていた時期、思い返すといつもイライラしていて、いつも何かに不安でたまらなくて、
時々どうしようもない絶望感に襲われて消えたくなる気持ちになることがしょっちゅうだった。
その度になぜそんな絶望感に襲われてるのか自分でも分からなかった。
自分としてはしたいことして、就きたい仕事に就いて、
母の望んでいる正社員として働いていて、
母を安心させていて(体裁上)、
怒られなくて済んで、堂々とできて、
これで嫌味とか言われなくて済むっていう安心感があったのにも関わらず、
いつも何かにイライラしていて、
本当にこのままの生き方でいいんだろうか、、、、
と、自分のしてること、生き方など全てにおいてよく分からない違和感があって、
その違和感を消すために過食嘔吐してたなって気付いた。
過食嘔吐していた頃は、過食嘔吐する理由は
一言で言うと『ストレス発散』
なのだけど、そのストレスの根本的な理由もその時は分かっていなかった。
仕事でいやなことがあったから、とか、そんな理由体と思っていた。
でも、今の自分と過去の自分と比べた時に当時なぜ過食嘔吐がやめられなかったのかようやく解った。
『やらされていた感』が強かったから。
過去のブログでも何度か綴っているけど、
私の生き方とか仕事に対する考え方とか取り組み方とかって、全ては
『母に認められたかったから』
というのが理由だということが分かったんだよね。
自分のために生きてるとか仕事してるとかじゃなく、
『母に認められたい、怒られたくない、存在を認めて欲しい』
いつしかそんな思いが幼少時代から潜在意識として埋め込まれてしまって、
自然と何をするにしても『母』が基準の考え方からの生き方になっていた。
だからいつしか、大好きだったはずの仕事も自分が望んで就いてる、というより、
『母を喜ばせるための働き方』
を一番に優先してそれに基づいて会社を選んで、
本当はすごくしたい仕事でもなかったけど、母の望む働き方の中から辛うじてこれが一番できそうかな、
と思って会社や仕事をエントリーしてただけで本当に自分が望んでしてる仕事、勤めた会社じゃなかった。
だから仕事で嫌なこと、いや、正確には仕事すること自体がストレスで、
仕方ないやってる感じだった。
だから、仕事で嫌なこととかあったり、仕事してる最中、終わった後、ストレスが随時溜まってるわけだから、
それを発散させるために過食嘔吐で何とか精神を保つようなことをしていたんだ。
そしてそのイライラを母にぶつけていたのも、
「私はこんな仕事したいんじゃないのに、あなたがやれっていうからやってやってんだよ!!」
そんな思いでいた。
自分がやりたくてやってる、
ではなく、
❝やりたくないことをやらされてる感❞
があったからだった。
この「やらされてる感」
これだ、常に抱いていた黒いもの。
やりたくてやってることじゃない、、、
したくないのに❝やれ❞と言われるから『やってやってんだよ』
そんな思いが奥底にあったから、いつもイライラして事あるごとに母に対して怒りが湧いて、それでよく八つ当たりしてた。
そういう意味では「母のせい」にしてたから八つ当たりしてた。
こんなにイライラして過食嘔吐するのは私に原因があるからじゃない、
❝母❞のせい。
そのどうしようもないイライラの矛先が母に向かっていたのも、
母からの要望に「やりたくないのにやらされてる」という思いがあったからだった。
今、仕事に対してだとか、仕事で嫌なことがあったとしても母に八つ当たりすることが一度もなくなった。
今の仕事や自分の行動とかしてることは誰の評価や見た目などを気にしてやってるわけではなく、
『本気で自分のしたいこと、選択したこと』
に基づいて行動してることだから。
だからどんなことがあっても自己責任だし、自分で対処したりする精神も身に付いてきた。
やっと『自分』で選んだことやって生きてるなって感じる。
やっと、ようやく、『自分』という生き方を少しずつ歩んでいけてる気がする。
過食嘔吐が自然に止まった理由は沢山ある中で、
『自分軸』で生きてる、というのはとても大きな要因の一つ。
自分軸ってほんと大切、
良くも悪くも誰かのせいにできないから。
全ては自分のことだから。
だからこそ、何があっても他人のせいにはしない、できない、
全ては『自分』で決めて行動する。
その覚悟が出来た時に過食嘔吐に頼ることがなくなってきた気がする。
過食嘔吐するのって、人それぞれ理由は様々で、これといった絶対的な答えはないような気もするけど、
少なくとも私の過食嘔吐歴が20年を超した理由は、
『自分を生きていなかった』から。
かな、と、気付いた。
自分軸で生きていったらあれだけ気にしていた人の目や評価が丸で気にならなくなる。
思い込みや決め付けもなくなる。
どんどん束縛していたものから解放されて身も心も軽くなってくる。
そう歯車が周り始めたら過食嘔吐したいとか、衝動が自然に消えていた。
過食嘔吐がゼロになったわけではない。
何カ月かに一度、何かしらのストレスが溜まった時に衝動が襲ってきて過食嘔吐に頼ることは今でもある。
でも、過去の自分のようにそこからまた過食嘔吐三昧な日々になるわけでもなく、
すぐに気持ちを切り替えて反省や原因を探して、次の日は過食衝動もなく、
『過食しないのが当たり前』
な日々を過ごすことができるようになってる。
この経過も私が摂食障害と歩む道。
何一つ無駄なことはない。
これからも摂食障害と共に、いつかお別れできる日までうまく付き合っていきながら生きていく。