最近、職場の職員がコロナ感染していく人が続出していて、いつも人手不足の状態から更に人手不足となり、
コロナ感染した職員が余儀なく休まざるを得ない状況となると残った職員で現場を回すことがどうにも不可能であるということで、
こないだ本当は公休だった日を突如として出勤要請をされた。
本当にいきなりだった。
本当に無理なら無理で断ってももちろんよかったのだけど、
今のこの現状では人が一人でも欠けると残った従業員で現場を回すのは本当に大変なことを把握していた。
こんな時はお互いさまだよなあ、という気持ちにすぐに切り替わることができ、
本当に心良く、
いいですよ、
と返事をした。
本当は若干ためらいはあった。
というのも、今の仕事は過去一体力的に超ハードすぎるので、
3日連続勤務が限界というか、それくらいで、次の日が公休、というシフトがとても理想でその辺で心身を休められることもメリットではある。
上司も全ての職員に4日連続勤務のシフトを組まないように考慮している。
だけど、今回、私が公休の日に人手不足を補うために出勤すると、4日連勤になる。
これには一瞬ためらった。
ああ、明日やっと休めると思ったのに、まさかの4日連勤かあ、、、
明日休みでのんびりできると思っていたからちょっと予定外でショックだな、、、
とは一瞬感じたんだよね。
でも、昔、言いたいことも言えず、無理して、昔も同じようなこういった状況があった時、
断りたくても断れず、周りの皆は急な出勤要請をされても断わる人はちゃんと断ってた。
でも、私はこういうところでも断れなかった。
嫌でも引き受けていた。
私も用事があるので明日は出勤できないんです、すみません。
が言えなかった。
言ったら言ったで自分が何かをいわれてるんじゃないかとか、後でこわいことになるんじゃないかとか、
そういった負の感情しかなれなくて、だから❝いいですよ、出勤できます❞
それがものすごくストレスで、本当は嫌なのに、嫌で嫌でたまらないのに、
としか言えなかった。
でも断わったら断ったでそれはそれでストレスになる、
でも無理に出勤することでストレスになる、
長年そうやって生きてきた。
からの過食嘔吐、となっていた。
くそーくそーって思いながら過食嘔吐で急な出勤要請に断れなかったことをぶちまけていた。
でも、今の自分は違った。
確かに明日公休で休みのはずが休みにならず、しかもまさかの4連勤になるという事態になり、
それも全く予想していなかったことだった。
昔の私ならパニックになって過食嘔吐でそのやりきれない思いを発散させていただろう。
今の自分は、
ああ、仕方ないか、明日は特に絶対しないといけない用事っていうのはなかったし、
この職場の皆を助けてあげたいし、
それに次どこかで代休がもらえるだろうし、
そう思ったら出勤の日が急きょ休みになる日も作ってくれる会社だし、
1年に一回あるかないかのことだし、そんなに嫌な気持ちになるようなことでもないな、
とか、そう気持ちを切り替えたら、
まあ、いっか、
てなほんとにストレスのない、リラックスした状態で感情を保つことができていた。
一応用事はあった、作ってはいたし、したいこともあった。
でも、絶対にその日にしないといけない用事とか、
病院の予約があるとかそういうのではなかったのもあって、
明日の予定はまた違う日でもできるからまた考えよう、
って、自然にそう考えれるようになって、
急な予定変更も動じずに対応することができるようになってた。
たまたま絶対にしないといけない用事がなかったからオーケーしたのもあったけど、
これがもし絶対に無理だったら、その時はちゃんと断ってた。
断ることのできる自分もちゃんといた。
明日は用事があってどうしても出勤できないので無理です、
と。
断ることができなかったわけじゃない、
イエスでもノーでも言える選択肢を持っている、堂々と持っている、
そしてそれをちゃんと主張していいのだ。
だって人一人色んな事情があったり、どうしても無理な時は無理だし、
それを無理にする必要ないし、
ましてや私のように、断れなかったストレスや鬱憤を過食嘔吐で発散させることになるくらいになるなら、
そこはちゃんと『自分』を大切にして、
自分中心に考えていい。
自分に余裕がないのに相手を思いすぎるのは良くない、
自分に余裕があってこそ、相手を思いやる気持ちを持っていい、持っていけばいい、考えればいい、
まず、『自分』を大切にすること。
『自分』を大切にする、という言葉の意味をようやく理解できているなと感じた。
8月カレンダーの格言。