相変わらず夫婦中は悪いまま、中学校に入学しました
中学って高校より、なんか全てにおいてなじめない感じで、雰囲気とか好きじゃなかったな。。
中学はお弁当になったし、仲良い子達はすぐグループを作りたがって、グループに入らないと仲間外れにされるような感じだったし、
なんかいつもめんどくさかった
私はそんなに目立つ方ではなく、地味だったから、ほんと地味に地味にやってたって感じで、中学の頃は一段と面白くなかった
部活とか体育祭とか文化祭とか、行事も増えて、
厳しくて怖い先生もたくさんいるから、授業そのものがなんか堅苦しくて息詰まってたし、3年間あらゆること全て楽しくなくて、小学生の頃より、ストレスを抱えることも多くなってた
気の強いグループからは、少しいじめられてた時もあったりして、
この頃は学校いても憂鬱、家にいても憂鬱で、ほんと楽しかった記憶は丸でない
ただ、一つ、そんなつまらない家庭と学校に華を咲かせる出会いとなったのが、
今も変わらずずっと大ファンのロックアーティストとの出会いでした
音楽を聴くとこには興味があって、中学に入ってから、CDを買うことも多くなり、家にいる時は漫画を読むか、ずっと音楽を聴いたりしてたけど、
このアーティストの出会いは奇跡とも運命とも言える出会いになり、当時も今も莫大な影響を与えてくれました
つまらない毎日の生活の中にある唯一の楽しみとなり、
悲しくても辛い時も、このアーティストの曲やテレビ、ライブに行くと、当時も今も変わらず私にパワーや、勇気、元気をくれて、本当に感謝してます
中学校1年の時に、このアーティストの全てに夢中になり、曲を聴くのも、CD,ビデオ、グッズ、ファンクラブにも入り、ライブへ行って楽しむということができるきっかけにもなり、この音楽があるから、中学時代を楽しめた唯一のもので、すごく救われた
両親の不仲は一段と増し、家では父ともほぼ話さなくなった
小学生の頃は、それでもまだいくらかは父との交流があり、それなりに楽しかったし、お話したりもした。
でも、中学生になったら、自我も芽生え、父に対する嫌悪と憎悪が表に現れ、避けるようにもなり、キレどころも何となく分かり始めていたから、
そこに触れないように気を遣いながら過ごしてたから、小学生の頃のように、まだそれでも無邪気に父と仲良しでいられた時間はほぼなかったな
姉も、中学生になってからは、自我も強くなり、身長も伸び始め、体も大きくなっていって、言いたいことをはっきり言うようになり、父には完全に冷めていたので、父に話かけられても、無視するくらいになっていった。
度々起こる夫婦喧嘩の時は、泣いていた小学生の頃と違って、
「喧嘩するな!うるさい!お母さんに暴力振るうな!!」
と言って、姉が母を庇うようになりました。
それくらい、姉は心も体も成長していました。(とはいえ、そりゃ姉もいっぱい心は傷付いてはいます)
そうなると、女3人に対し、父1人では、なにかを察していたのでしょうな
私と姉もずっと母だけと一段と仲良くなりずっとくっついて、姉妹で母を守るようになり、父のことはほぼ嫌悪していたのもあり、
話したくなくなったから、必要最小限のことしか話さなくなった
特に姉は、反抗して、父に歯向かっていったこともある
この頃から、父が母に暴力を振るう回数も少しづつ減ってはいたけど、何かあるといきなり切れて、母を怒鳴ったり殴ったりは変わらずあった。
その光景が、
もう父に対しては「軽蔑のまなざし」
でしかなかった。
男の人は本当の心は怖くて、すぐ暴力を振るう人で、見た目で判断する人間、というのが、私の中で植え付けられ、
学校でも、異性に対して嫌悪感があり、男性って最低なもの、という根っからのイメージがついたのもこの頃。
男性=怖い、信じてはいけない、近づいてほしくない、見た目で判断する、暴力を振るう、
という思考が根付いたのも、父の影響だったと気付いた。
私は、中学生になっても、変わらず食は落ちず、食べる楽しさは健在で、おいしいものを食べる楽しさはあったので、
食に関してはいつ何時も衰える事なく、もりもり食べていた
ある日、すごくスリムで有名な友達と二人で歩いていたら、
クラスの男子が、
「○○(友達)は痩せてるけど、○○(私)は太ってる、差がすごい」
と言われ、この時の言葉も深く傷つき、ますます自尊心や劣等感の生まれる一つとなった。
やっぱり、男は痩せてる人がいいのだと、太ってるのは醜いのだと、
「男性は皆痩せてる人が好きなんだ!」と
父以外でも、男性は皆痩せてる人がいいんだと、再度刷り込まれるきっかけにもなりました。
成績も含め、友達関係も、家族のことも、自分の容姿に対するコンプレックスが一段と強くなったのも、中学生時代かな。
とにかくいつも鬱々をして、心の中の不安定さもあって、いつも気が張っていて疲れていた気がする。
そんな中だったから、好きなアーティストに夢中になれることができていたから、ほんとにそれは今後の自分にも大きな影響の与えてくれるきっかけにもなっているから、このアーティストに出会わなかったら、それこそほんとに、何も楽しいことなく中学生時代を過ごしていたと思う
両親はお互いほぼ口を聞かなくなりいつも家の中は冷めきっていた。その中でも、離婚話は進めていた。
「もう離婚するのは確定なのだ」と、
寂しくて悲しい気持ちにも更に拍車をかけた。
ずっと、憧れていた「温かい家族」は、私の人生の中で望めないんだ、
ずっと不仲のままの両親の中で育って、それはもう変えられないんだ、、、
と、ただひたすら悲しみや、どうしようもない絶望感で頭の中も真っ暗だった。
父は離婚話を拒み続ける中で、母は、
「○○(私)が中学卒業するまで待つけど、離婚はもう絶対にする。これ以上あなたとは一緒にいたくないし顔も見たくない」
と、母ははっきり言い、私が中学を卒業したら両親は離婚することに決定した(この時点は母だけが決心&実行に移す気は変わらない)
ただ、そんな中でも、父は父なりの、なんかよくわからない「家族愛」があったのと、世間体やプライドの高さから、
離婚はずっと拒んで承諾しなかった。
「もう一度やり直そう」
と何度も伝えるが、そう言いながら、母への罵倒や暴力は変わらない。
が!もうどんなに言われても、離婚を決意した日から、母は自分で着々と離婚に向けての準備をし始め、
離婚後に住む新しい家の手配などをし、強行突破した。
中学三年になるくらいには、母も確実に離婚することを伝えるために、
「もう次住む家は見つけたから」
と父に言い、
その頃から、父も母に「離婚はしたくない」
と言わなくなった。
もう完全に駄目だと諦めたのだろう。
温かい家庭に憧れていた私にとっては、両親の離婚は、トラウマになるくらい、悲しく辛い出来事だったけど、
このまま父と暮らすのはもっとムリだし、嫌だし、この先一緒にいたこところでいい事にはならないや、、、、
と諦めの気持ちになり、
残りの中学校生活を淡々と過ごした。
卒業式が来るまで、淡々と。
受験シーズンの時期に差し掛かり、目指していた進学校も受験に失敗し、落ちた。(完全に私の学力の無さ)
↑このことも、ますます自尊心が低くなり、「私は何やってもだめなんだ、情けない」「頭悪くてみっともない、何も取柄えない」
という、自己肯定の低さも更に根付き、と同時に、
「母を喜ばせることが出来なくて申し訳ない」「自慢できる子どもでなくて申し訳ない」「親戚はどう思うかな」「私は馬鹿だと思われているんだろうか」「そう思われていたら会うのが恥ずかしい」「頭の悪い私は自慢できる子じゃないから親戚に会いたくない」
という感情が湧き、過剰に人からの目や評価も気にしていました。
今振り返って気付いたことが、
この思いも、小さい頃の、親戚達が成績の良し悪しを自慢し合う、それによる自分への劣等感、自尊心を無くすなどのトラウマ、「洗脳」
からの思考がずっと健在で、
「人からの評価」や「他人からどう思われているか」「他人軸」「周りに気を遣いすぎる」
という思考になっていたと気付きました
受験に失敗した私は、春からは市内にある私立高校に進むことになりました
中学生時代に、出会ったMちゃんという子との出会いと、私立高校への進学が、新たな沢山の出会いや色んなことが人生の中の大きなものとなる道へ進むことになりました
また、続きはいつか綴ろうと思います