摂食障害になる様々な要素や原因のある中で、きっかけは

「ただ痩せたかったでけでなない」

「ダイエットからだけではない」

 

というものがあり、

私の場合も、まさにその通りでした。

 

私はなぜ摂食障害になったのだろうか、

 

を真剣に考えていた頃があります。

(約13年前くらい、25歳くらいの頃です)

 

18歳で摂食障害を発症し、拒食と過食嘔吐を繰り返す日々を過ごしていたけど、

特に「苦しい」「辛い」と強く感じがことはなく、

 

それよりも、好きなもの、おいしいもの、気にすることなく、「食べたら吐けばいい」

もう食べたいものを食べていいんだ、

だって吐いてしまえば、太らずに済むのだから、こんな楽しいことはない、快楽はない、

 

という思考でした。

過食嘔吐することにもさほど嫌気や、罪悪感とかはなかったです。

 

でも、24歳辺りから、仕事に行っても皆と同じものが食べれない、差し入れをされても、マイルルールのありまくる私にはお饅頭一つ皆を一緒に食べることができず、食べるものや量などを見られたくないため、ご飯を一緒に食べようと誘われても、断り続け、誰も見えないところへ行き、一人でご飯を食べていました。

そのくらいから、マイルールに縛られてることで、人との付き合いがうまく行かなかったり、

食べることに対して、自分の食行動がめんどくさい、辛いな、と思うようになり、

 

「なんで痩せたかったんだっけ、ただ単にダイエットじゃないよな、、、、」

 

自分の生い立ちを考えていた時期でした。

 

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私は2人姉妹の妹として生まれました。

生まれてきた時の体重はなんと3700gの、平均体重をかなり上回る、とても大きく生まれました。

大きすぎて普通分娩が難しかったそうで、母は帝王切開で私を生んでくれました。

赤ちゃんの頃から、ムチムチ体系の大きな赤ちゃんだった私は、とにかく何でもよく食べ、ムチムチの体のまま幼少期を過ごしました。

六歳くらいの頃までは、全然気にしていなかった自分の体型というものに対して、物心の付き始めた小学生一年くらいから、

自分の家族環境や自分の性格、気質などから、敏感に物事を感じとっているような感覚がありました。

 

私の父と母と姉はとても優秀で、過去の成績や高校、大学も、全て有名所で

「頭のいい」人でした。

それに対して、私は勉強が苦手で成績も上位ではなく、いつも劣等感がありました。

それと、冠婚葬祭などで親族の集まりがある時は、親族同士がいつも自分の子供の自慢大会をしていて、その話題は

「〇〇ちゃんが全体で一番だった」

「うちの息子は今度有名大に合格した」

「クラスで優秀だといつも先生に褒められる」

 

等など、いつも成績が良い、頭が良い、偏差値が高い、レベルの高い大学に行く、

等、親族が集まる度にその話題ばかりでした。

 

私の父も母もいつも先生に褒められ成績優秀な姉が自慢で、

「うちの○○もいつも先生に褒められて、今度受ける進学校は滑り止めなしてもいいって言われてるんですよ」

と、自慢していました。

 

私はとても惨めでした。

皆が自分の子供の成績や頭の良さを褒める中、

「成績」を特に重視していた親族や家族の中で、私は一度足りとも褒められることはありませんでした。

それは、当時の私にはとても惨めで情けなく、悲しく、そして耐え難い「怒り」「イライラ」などが生まれるきっかけにもなりました。

 

私には褒められるとこは一つもない、ダメ人間なんだ、恥ずかしい、辛い、

そんな感情が常にあり、

「自分に自信が持てない」「頭悪い」「何をやってもだめ」「いいところなんてひとつもない」

「自慢できる子供じゃなくて申し訳ない」

等、この頃から、「自尊心」「自己肯定」というものが全くなくなっていったように思います。

 

 

父はいわゆるDVで、気に入らないことがあるとすぐに切れて、母をいつも殴り、喧嘩の絶えない家族でした。

いわゆる

「機能不全家族」

 

という環境の中で育ちました。

いつも夫婦喧嘩があり、それに怯えながら毎日姉と泣きながら過ごしていました。

 

学校へ行っても、帰ったら母が父に殴られすぎて死んでしまうのではないか、という恐怖から学校へ行きたくない、お母さんのそばにいる、

と母が心配すぎて学校へ行くのを拒否していた頃もあります。

 

父の暴力、毎日の喧嘩、二人の不仲、いがみ合い、そんな中で過ごした中学三年生まで、毎日朝から一日中神経が張り詰めた状態になり、

私は父が暴力を振るわないよう、父の機嫌をいつも伺い、過剰に気を使い、

人の顔色を伺いながら生きていくようになったのも、父の影響が大きかったです。

 

殴られないようにするためにはどう父にお膳立てをするか、父と母を二人にさせてしまったらまた喧嘩や暴力が始まるから、2人を別々の違うところに連れて行こう、とか、夜中父が寝てる母に喧嘩をしかけないようにするために母と一緒に寝たり、

等、とにかく父と母をいかに二人きりにさせないようにすることに必死でした。

 

それと、父は人を外見で女性判断することが多く、テレビに映る女優さん達を観るたび、

「このタレントは太っている、みっともない」「美人じゃない」

など、けなしたり、それはテレビに映る女性に限らず、父自身も、女性が痩せて美しく綺麗な人が全てといってもいいくらい基準も合わせていたので、

自分の基準ではない女性に対しては、言い方は悪いですが

「見下して」いました。

 

その一番の不満の矛先は母でした。

 

母は父の望むようなスレンダーではないですが、

 

子供の目線、他の人から見てもとても綺麗さと可愛さもある人で、外見に関してはとても綺麗な人と感じます。

ですが、父の望むようなスレンダー体型ではないため、

そこだけを見て

「お前は太っている」「太っていたら醜い」

と、あざ笑いバカにしていました。

 

当時の母は太ってはいません。ちょうどよいくらいの体型でした。

でも、父は母に「デブはみっともない、痩せろ」

とよく言い放っていました。

 

、、、、、、、、思い返せばこの頃です、「女性は太っているのが醜い」、、、、、、、、、、

 

と、父の言葉に「洗脳」されてきていたと、気づきました。

 

小学生の私は、赤ちゃんの頃と変わらず食べることが好きで、小学生になった時も、食欲は落ちず、何でももりもり食べていて、コロコロのポチャポチャした体型でした。

 

でも、父は姉や私には「太ってるから痩せろ」とか「デブはみっともない」

などの言葉は一度も言ったことはありません。

 

むしろ、姉と私がよく食べることがとても嬉しかったようで、お菓子やアイスや、出張へ行った時は必ずお土産を買ってきてくれたり、

「アイス食べるか?」「焼き芋買ってきたから一緒に食べよう」「ご飯食べたらお土産のケーキが待ってるぞ」

 

など、姉と私が何でもよく食べることには嬉ぜしそうにし、体型のことを言われたことはありませんでした。

 

なぜ父が母に対しては太っていることをバカにしていたかというと、

父は悪い意味での亭主関白で、自己中、何でも自分が一番じゃないと気に食わない、俺様、

自分が何より一番、

女性に求めているのは、自分の言うことを素直にハイ、と返事して従順に従う人を求めていたため(例として、誰のおかげで飯食ってんだ!俺が養ってんだろ!俺がいるからお前は生きていけるんだろ!的な典型的なDV男)

自分の妻である人がそういう人ではなかったことでした。

 

母はいわゆるキャリアウーマンで、仕事をバリバリこなす人で、給料も母の方が多く、

「とても自立した女性」でした。

父がいなくても、母が一人でなんなく生きていけるくらいの収入と賢さ、兼ね揃えた実力を持つ人でした。

 

だから、亭主関白で身近な妻を見下して、俺様気分でいたい父に対して、

母は真反対の人だったので、それが気に食わなく、母の容姿をぼろくそに言っていたのです。

 

〇誰のおかげで飯食ってんだ→私一人でも食べれます

 

〇馬鹿が!!→あなたよりいい大学でて、社会人になっても実力身についてます

 

〇俺がいないと生きていけないだろう→いいえ、なんならすぐにでも離婚します

 

〇俺の車なんだから乗るなよ→では、自分名義で明日車を買いに行きます

 

 

等など、

父には到底歯が立つ人ではなかったので、もともとの気質がDV,俺様、亭主関白が相重なり、一番見下したい相手が母だけど、

 

罵声を浴びせても動じない、敵わない、俺様理論が通じない、

 

だから、暴力を振るったり、母の容姿を無理やりけなすことで、発散させていたのです。

 

 

 

そのことが深く根付き、この頃

「太ったら醜い」「馬鹿にされる」

 

というものが、知らず知らずのうちに根付き、

 

ダイエットからの摂食障害を発症しました。

 

 

 

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また、生い立ちについても、振り返って思い出すことがあれば、ゆっくりつらつらと綴ってみたいと思います流れ星