1979年の夏、ソ連邦の時代、横浜から船に乗り、津軽海峡を越えてナホトカへ。汽車で、ハバロスクへ。そこから飛行機でイルクーツクを経てタシケントへ。中央アジアのシルクロードを19日間かけて回りました。子供2人を田舎の母に預けての初めての海外旅行でした。タシケントの緑豊かなオアシスの街とサマルカンドのブルーのタイルのレジスタンス広場が印象深い旅でした。39年ぶりにウズベキスタンを、昨年9月再訪しました。

 


昨年の4月からビザも不要になり、シーズン中は、成田から首都タシケントまで直行便が飛んでいる。観光客や若者のバックパッカーが増えているとのこと。行きの便で隣の席の若者は、大学4年生。友人3人で旅行とのこと。航空運賃は往復8万円。ヨーロッパに行くより安い。私達は男性9人、女性8人の17人。いつも女性が多いのに。友人も1組いたが個人参加ばかりで、カップルはいなかった。そして地方参加者が多い珍しいツアーだった。

 


 

ウズベキスタンは1991年に、他の中央アジアの4ヶ国(トルクメニスタン、カザフスタン、タジキスタン、キルギス)と同じようにソ連から平和的に独立した。ちなみにスタンは、土地、領土、国などを指しているという。独立後、言葉の表記はロシア語のキリル文字からラテン(ローマ)文字表記になった。年配者はキリル文字しか読めないので、紙幣、新聞などの表記などはラテン文字とキリル文字を併記している。年配者は、ロシア語が堪能だ。

 

 

ウズベク人は、イスラム教徒のスンニ派が多い。しかし宗教色は余り強くない。同じスンニ派のサウジアラビアの観光客の女性は、全身黒い目だけを見せるブルカを着ているが、ウズベキスタンでは顔のベールを取って下さいと言われる。もちろん取れないのでバスの中で待っているという。また、16歳になったらイスラム教徒から改宗できるという。

 


ツールガイドのサィーダさん(女性)は、サマルカンド出身で日本語がうまい。アクセントも違和感がない。大学で日本語を選択し(これは先生の指定)日本に2年間留学し、8年間ガイドとして働いている。結婚が決まっている。ガイドをやめて家庭に入るという。日本語がうまく、知識も豊富なので、私たちのツアーのみんなが、ガイドをやめるのはもったいないとしきりに言っていた。サィーダさんはゆくゆくは翻訳の仕事などをやりたいらしい。

 


 

ウズベキスタンは、チムールの国だ。ジンギスカンは破壊し、チムールは建設したと言われている。ジンギスカンが13世紀に徹底的に破壊した旧サマルカンドーアフラシャブの丘は、土の塊が続く茫漠たる穴ボコだらけの丘が続いている。チムールはアフラシャブ丘の南西に新しいサマルカンドを建設した。チムールの像は、首都タシケントー騎馬像、サマルカンドー座像、生誕地シャフリサブスー立像と3つある。チムールを建国の父としている。

 

 

今回、このツアーに私が参加したのは、チムールのふる里シャフリサブスとアフガニスタンとの国境の街テルメズが入っていたから。テルメズはソ連がアフガニスタン(1979年)に侵攻するときの最前線の街になったため、長く観光客は入れなかった。テルメズ近郊には、クシャーナ朝時代(1世紀~3世紀)の仏教遺跡が多く残っている。

 

 

シルクロードの遺跡発掘で有名な加藤九祚氏が、この地域を発掘した。加藤の家もある。カラ・テペには加藤氏が好きだった魚の缶詰の空き缶が十数個放置されていた。加藤氏は2016年の9月、発掘中に亡くなった。発掘中に亡くなるのが本望と言っていた。ここに埋葬してほしいと言っていたが、奥さんは日本に遺体を持って帰ったという。

 

ファヤズ・テペで発掘された釈迦三尊仏などはタシケント博物館の至宝になっている。三尊仏は、うつ伏せになって埋もれていたので、よく形をとどめている。カラ・テペ(カラは黒、テペは丘)を7世紀、玄奘三蔵がここを通った時、僧侶達がいたと「大唐西域記」には書かれているという。

 

クシャーナ朝の時代、サマルカンドやアフガニスタン、パキスタンの西部などアレクサンダーの遠征の影響化ヘレニズム文化が華開き、仏像が創られるようになった。それがガンダーラ仏である。アフガニスタンのバーミヤンの大仏(今は、タリバンに爆破されて、土の塊になっているという)もそうだったとテルメズの現地ガイドのライホンさんが説明してくれた。


軍人は、テルメズで1年働けば、3年働いた事になるという。国境に近く危険だから。ウズベク人の平均月収は、500ドル=55000円くらい。物価は安い。医療費、教育費は無料。病院から施療される薬は有料。小、中学校に制服があるが、白いシャツと黒いズボンやスカートなら何でもオーケー。これなら転校しても大丈夫。

 

教師の給料は安い。300~400ドルくらい。そのためか女性が多いという。10月1日は教師の日でお休み。生徒たちは教師に花や冷蔵庫、テレビなどをプレゼントするという。 

 

 

ウズベキスタンは徴兵制を取っている。17歳から25歳までの2年間。行きたくない人は1000ドル払う。女の人は、医療の勉強を週1回やるとの事。3月8日は女性の日(国際婦人日)この日は休日でもあり、女は働かない。女性に花(チューリップが多い)をプレゼントする日。1月14日は軍人の日でもあり、男の日でもあるが、休みではない。
 

 

人口の60パーセント以上が若者。男性は65歳、女性は55歳から年金生活に入るという。しかし平均寿命が72歳。年金をもらっている時間は余りないのかも。

 


タシケントの郊外に日本人墓地がイスラム教徒の墓地の一画にある。シベリア抑留の時、ここまで連れてこられた5000人余のうちこの地で亡くなった79人のお墓。福島県出身者が多いように思った。イスラム教徒の一人のボランティアによって手入れされている。桜の木が植えられ、きれいに維持、管理されていた。抑留者たちによってナヴォイ劇場も建設された。現在も現役だ。1966年の大地震(震度7.8)の時、他の建物が崩れる中、崩れなかったと劇場の壁に日本語のプレートが貼ってあった。

 


 

ウズベキスタンを流れる大きな川は、アムダリア川、パミール高原に源を発し、アラル海に注いでいた。砂漠を綿花畑にして、川の水を大量に取水したため、現在アムダリア川は、アラル海の手前で干上がって届かなくなった。そのためアラル海は1/3以下になっている。アラル海が小さくなれば土地が増えていいだろうと思うのは浅はか。海の塩分濃度が上がり、魚が絶滅し、漁民は仕事場を失い、離れざるをえなくなる。湖の周りは、塩害や風土病に悩まされているという。同じツアーの人で、昨年この地域を訪ねた人がいた。船の墓場となっているという。


ウズベキスタンは360日晴れ。天気を心配することのない旅だった。