「サウジアラビアに行かない?」と熊本の友人に話したら「思ってもみない所。私行きたい」ということで、ツアーに参加することに。旅のベストシーズンは11月から3月くらいまで。後は、暑すぎて外は歩けない。12人(男4人、女8人)+添乗員(女)のツアー。

 


サウジアラビアは、1932年に成立した国。
「アラビアのロレンス」の映画で有名な民族独立運動で、オスマントルコからの独立を果たしたが、現実のロレンスは、イギリスの二枚舌、三枚舌に苦しみ、イギリスの勲章を拒絶している。ロレンスが爆破した鉄道や駅舎などを見学した。
ドイツからの援助でオスマントルコが敷設した。車両が展示されているが、ドイツからの観光客が車両の一部をはがして持って帰るので、今は近づけないように金網で囲われている。




初代国王には、36人の男子がいた。現在は、7代目だが、初代の25番目の子供である。王族は、少なくみつもっても6000人は、くだらないという。王族は、政治、経済の主要なポストを占める。

ムハンマド皇太子によって、「サウジビジョン2030」が2017年から進められている。2030年までに、石油依存からの脱却と産業の多角化を進めている。

男女平等化も徐々に進められている。2011年、地方評議会の選挙権、被選挙権が女性にも認められ、20人が当選したとのこと。2019年から女性も運転免許が取れる。

 

観光にも力をいれ、女性の観光客が、今までは全身をおおうアバヤー黒い目だけを出したマントのような民族衣装(サウジの女性は着ている)を着なくてもよくなった。今までは女性は、医者か教師しか仕事がなかったが、女性もいろんな所で働いている。遺跡の説明も若い女性がやっていた。遺跡で女性がジープを運転していた。

イスラム教の聖地メディナにも異教徒が2022年から入れるようになった。メッカは、今の所ダメだが。現在、世界遺産に登録されているのは4つ。広い国土だが、全て訪ねることができた。

 



行きの飛行機の中で、隣に座った若い男性に「ドバイからどこへ行くの?」と聞いたら、「ポーランドのワルシャワ」「観光?」「隣の友人とサッカーをやっていて、ポーランドのチームと契約して2年間そこにいます」との返事。私が「サウジアラビアに行く」と言ったら「サウジアラビアに行ってみたい」との返事。

 



昨年、カタールで開催されたワールドカップで活躍したポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドがサウジアラビアのチーム、アル・ナスルに年俸2億ユーロ(約286億円)で引き抜かれた話は、後で知った。現在、首都リャドの億ションに住んでいるという。石油のおかげで優秀な選手をひき抜ける。アラブの盟主を自認しているサウジアラビアとしては、ワールドカップの開催をカタール(2022年12月)に先を越された形になったが、協力を惜しまず看護人、警備人などを空路、陸路で多数送ったという。

 



サウジアラビアの石油の埋蔵量は、シェールガスのおかげで、アメリカに次いで第2位で100年くらいは持つと言われているが100年後を見据え、教育・観光に力をいれている。教育費、医療費は、無料。消費税は15%。大学進学率は、99%で授業料は無料。アメリカのハーバード大学やイギリスのケンブリッジ大学など外国の大学に留学する場合も費用は、国が出してくれる。もちろん帰ってくることが条件。帰らない場合は、費用を返さなくてはいけない。技術学校に行くと毎月300ドル国から援助されるという。


 

年金は、60歳から。給料の7割がもらえるという。再就職してやめたらそこからも年金を貰える。人口3534万人(2021年)の内、1000万人が外国人。バスの運転手、ホテルのボーイなど下働き的な労働が多い。ハイルからメディナまで4日間運転してくれたドライバーは、インドネシア人。最後に泊ったヒルトンホテルのボーイは、フィリピン人で、お父さんは日本人、お母さんはフィリピン人だと言っていた。

反対にサウジアラビア人のつく仕事が少ない。公務員や教員の希望が多いという。給料も高い。労働者の三分の一が公務員だという(サウジアラビア人の)。サウジアラビア国籍の人は、18才になると申請すれば土地(平均272坪)をもらえるとの事。低率のローンで家を建てることができる。

 

 

首都リャド周辺には新興住宅地が広がっていた。水は、海水からと地下水で十分。海水からのプラントには、日本企業が参加していると言う。またメディナのモスクの日除けのテント(大きなコウモリ傘みたいな物で、閉じたり、開いたりする)も日本の企業のアイデア。


 

メディナの巡礼者は、インドネシア人が多かった。モロッコから来ている若い女性もいた。モスクの広場を広げるためにホテルは、壊されるとのこと。ペットボトルの水をケースごと売っていた。そのケースを買い、周りの人に配っている人がいた。私たちにもくれた。イスラム教徒の喜捨(ザカート)なのだ。

 

 



ガイドのジャミールさんは、長くサウジアラビア航空に勤めていたという。7種類の資格免許を持っていて、飛行機が飛び立つときの重さを量ったりして飛ぶことができるかを計算していたとのこと。現在64歳なので、退職してガイドになったとのこと。

イスラム教では4人まで妻を持つことができる。平等に扱うこと。すでに結婚している妻の承諾がいることなど条件はあるが。ジャミールさんには4人の妻がいる。84歳の彼のお母さんの前では、4人の妻は仲よくしているが、お母さんがいなくなるとなかなか大変らしい。

 



食事は、おおむねおいしかった。ホテルは、朝も昼も夜もバイキングだったが、レストランでは、料理を運んできてくれて、3,4人で小皿に取って食べた。首都リャドでは、中華料理も食べたがおいしかった。レバノン料理も。ラクダの肉も食べた。クセがなく、おいしかった。



ドバイから航空機でリャドに向かう時、座席の件で大混雑。サウジアラビアの女性が家族以外の男性の横に座れないので機内で調整するため時間がかかり、出発が遅れた。異教徒の横は、大丈夫らしい。異教徒の観光客はー私達なのだがーなかなか皆が席に着かないのでイライラするばかり。

 

しかしながら、サウジアラビアの旅は、概ね気候もよく、少し寒い日もあったが晴れが続き、楽しく、いい旅になった。