コピーライターになって10年くらいたった頃のことです。

突然、広告のコピーが浮かばなくなり、

悶々とした日々を過ごしていました。

当時スターだった先輩のコピーライターに

「コピーを書けないのですが、どうしたらいいですか」と

相談すると、

「書けなくなったら、もっと書くことだね」という厳しい一言。

 

あーどうしようと思っていた時に、

ある婦人雑誌の童話コンテストが目にとまりました。

大学の頃、英文学部の卒論に児童文学を選ぶほど、

児童書が好きだった私は、広告コピーを書く時間を

童話創作に費やし、

「ウェンディの贈り物」という作品を書き上げ、

応募しました。

受賞なんてするわけないのですが、

なぜか雑誌を開く手が震えます。

一次審査を通過し、最終審査に進んだ時は

本当にドキドキしました。

結果は次点。

 

がっかりしていたちょうどその時に、

なんと尾崎慎吾さんというイラストレーターの方から、

声がかかりました。

「蟹瀬さん、童話書きませんか。」

まるで、天使のお使いのようです。

「ええー 童話ですか。書きます、書きます。」

 

初回作品は学研の月刊誌、「小学1年生」のために

書き下ろした「水とりゾウさん」です。

当時担当していた、

湿気取りの商品「水とりゾウさん」と

5歳だった息子のおねしょがヒントになって

生まれた作品でした。

 

そして、2作目はなんと、紙芝居。

小さな子供たちが輪になって聞いている姿を

思い浮かべながら書いた

「きりんなぜなぜくびながい」です。

きりんの首が長くなったのはね、

○○だからというお話。

 

3作目は「ひつじのしたてやさん」と続きました。

一年に一回、自分の毛を刈って編んだセーターを

売ってしまったら、来年までお仕事はお休み、という

なんだか働き方改革(笑)のようなお話でした。

 

 

3作目を書き終える頃から、

ふっと、心のどこかで何かが落ちたようで、

広告コピーを書けるようになりました。

広告以外のフィールドで、書くという創作活動をやったことで、

発想する力が戻ってきたのかもしれません。

すべてがつながっていたのですね。

 

余談ですが、

ある日、長男のお嫁ちゃんが、

「お母さん、寅一と図書館に行ったら、

お母さんと同姓同名の作家の紙芝居があったんですよ」

と電話してきました。

「フフフ、それ、若い時の私の作品」と答えると、

「わ、幼稚園のママたちに自慢します」ですって。

うれしい、びっくりでした。

迷っていた時に生まれた作品が

今、孫たちに読まれている、と思うと、

つながっているなあ、と思えてなりません。

 

書けなくなったら、書けばいいんです、

働けなくなったら、働けばいいんです。

細いクモの糸のように続けることが

次につながっていくんですね。

 

今日もいい一日でありますように。

レナジャポンがご一緒します。

素肌からいい日に、ね。

 

PS 2番目のイラストは、久保田妹さんに

絵を依頼して一緒に創作した童話「深呼吸洗顔物語」の1Pです。

洗顔するとき深呼吸してね。なぜなら・・・