90歳になる母が救急搬送されたと電話があり、
夫と私は搬送先の
国立病院救急救命センターに急いだ。
 
いつもは元気すぎるほど元気で、
頭の回転がすこぶる良くて
持病もなかったので、
「お母さんは100歳まで大丈夫」と、
安心しきっていた矢先の出来事だった。
 
コロナ感染が毎日報道される中、
正直、病院に行くのさえ不安があった。
しかし、その不安は救急救命センターに
入った途端消え去った。
 
そこで、働く医師や看護士たちの
救命への確固たる姿勢に接し、
いかに、自分本位の不安の中に
身を置いていたかに気づいたからである。
 
人を助けるために自分の命を懸ける。
この医療現場はこんな素晴らしい人々で
溢れていた。
 

母の病状をCTを使って真摯に説明してくださる若き担当医師、

そして、若き看護婦さん。

私たちより、ずーと若いけれど、

動転している私たちに、安心を与えてくれる存在だった。

 

 

母は、残念ながら、搬送されて20時間後に帰らぬ人となった。

その間、ずっと、背中をさすり、乾いた口を濡らし、

声をかけつづけてくださった副看護婦長さん。

そして、腸閉塞の治療について、

たくさんの時間を費やして、

私たちが納得いくまで

説明をしてくださった専門医の方々。

本当に素晴らしい人々ばかりでした。

 

こんな素晴らしい方々に最後出会えたのも

母の人徳だったかもしれません。

 

 

母が自慢の鬼塚タイガーのシルバーの靴。

搬送のときにも履いてきたようです。

最後までおしゃれでした。

もちろん旅立ちも一緒でした。

 

 

腸閉塞でちょっと痛い時間をのぞけば、

母が希望していたように、

たくさんの子孝行をして

あっという間に旅立っていきました。

 

「どんな時も前向きにたのしくね。」

これが母の遺言です。

 

嫁いで44年。

実の母より長く一緒にいた大好きな母です。

一度も喧嘩することもなく、

仲良く暮らせたのも

亡き母のおかげです。

 

最後に救命という現場で働く人々の姿に

出会えるようにしてくれたのも

何か伝えたかったのかもしれません。

不安に打ち勝ちながら、

人々の命のために戦っている人がいることを。


世界中にたくさんの不安はあるけれど、

不安に押しつぶされないように、と。

 

最後まで素敵だった母に心から感謝です。

 

 

「令子さん、あのピンクのボトル送って」と

母が大好きだったレナジャポンのローション。

透明な肌がいつまでも美しかったです。

一番の理解者でした。

いつも応援してくださって、ありがとうございました。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

今日という日を大切に、楽しくね。

 

 

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