「全日本フィギュア」 思い出しと「世界選手権開催」 | 玲子のとっておきなお話し

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シャンデリアボイスを持つミュージカル俳優。
加藤玲子のわりとオフィシャルなブログ

1月末、3月の世界選手権の予定通り開催がISUより発表されました。
 

 

 

オリンピックの枠取りのために参加せざるを得ないというのがちょっと引っかかりますが

 
まだ「3月1日時点の各国エントリー状況次第で五輪出場枠獲得方法について再検討する可能性があり」
 
多くの選手が国際大会から遠のいている今、モチベーション維持のためにいいことではないかと思います。実戦に出ていないと感が鈍り、久しぶりとなると緊張感や恐怖感が発生しますから。
 
ただ、日本はEUへの渡航を禁止されたばかり、この先のコロナ感染の状況次第で最後までどうなるかわからないです。でも準備していることは無駄にならないはず。
 
 
とは言え、やっぱり選手の命を第一に考えて欲しいので、五輪の枠取りにとらわれず、参加は選手個々の意思で決められたらなぁと思うんですけど・・・無理ですねショボーン
 
 
でも、マイナスな感情は周りに伝わり易く、参加する選手の士気に影響するので応援するプラスの気持ちを伝えたいなと思いますニコニコ
 
 
さて、全日本選手権から一ヶ月少し過ぎ、羽生選手の演技を見て、その時感じた自分の気持ちをちゃんとまとめておこうと思います。
 
・・・ので、ここからは私のための
「2020年 全日本フィギュアスケート選手権 備忘録」
です。

 

 

12月25日 ショート

Let Me Entertain You

 

 

 

 
「こんなつらい中でも、ちょっとでも明るい話題になったら」
「何か湧き上がるような感情があれば嬉しいです」と選んだ曲。
手拍子を促したり煽ったり、まるでライブ会場のようなノリ。もしかして昨年すべて中止になってしまったアイスショーの代わりだったんじゃないかとふと思った。それほど競技だということを忘れさすくらいの圧巻のエンタテインメントプログラム。いつかアイスショーでギュンギュンミラーボール回してギラギラスポットライト浴びて思い切り弾けて滑って客席煽って欲しい、私は思い切り「キャーキャー」叫びたい星
ただし、羽生選手自信、久しぶりの実戦が楽しくて、客観視(後で書く)を忘れてしまいスピンノーカン、ドンマイショボーン
 
でも本当のところピアノ曲で滑りたいんだろうな。良い曲に巡り会えますように・・・
というかオリジナルを作ったらどうでしょう?
 
 

12月26日 フリー

天と地と

 

 

 

これはとんでもないものを見たぞ・・・
演技最後のポーズ、羽生選手が天高く両手を振り上げた瞬間
「ヤバ…こわ…ガーン
私はとても他人には見せられない脱力しきった顔をしていたと思う。
その後小さく1周して、客席(?)を見て息を吐いてにこっとした顔が好きお願いココ下矢印
 
 

 

 

これはとんでもないものを見たぞ・・・

2019年のさいたまワールドもそう思ったけれど

あの時は会場全体に力強いグルーブ感、うねりを感じた。

それとは違う。

 

鳥肌

全身にザザーっと何かが走った。小さな悲鳴、何か恐怖感に近いもの。
それから、あんなに緊張して冷たくなっていた手足に一気に血が巡った。
 
 

「1人で頑張ってきて、それが報われたのが嬉しい」(S-PARK)
長い期間、一人のトレーニングはどれほど苦しかっただろう。

つい彼は強い、大丈夫だと思いがちだけど、本当はとても繊細で感じやすい。いつもなら大勢の家族のようなリンクメイトたちと練習しているので、より孤独を感じたかも。

 

その孤独の中で自信を深く見つめ、悩み、迷い、苦しみ、自信を喪失し、そして取り戻したスケートへの想い。「3Aすら跳べなくなった」と目を潤ませていた。その辛い時間が彼を成長させ「天と地と」が生まれた。

 

自分に湧き上がった感情を今までならストレートに表現することが多かった羽生さんが、そういった感情と向き合い昇華させ、とても客観的に冷静に演じ余裕さえ感じた。氷上で舞っている羽生結弦とは別に、魂の部分は上空にあって操っていたよう。

 

そういえば、ウォームアップエリアで音楽を聞きながら涙を流していたわけを聞かれて

「感情を抑えて客観視して自分が一番いい時のリズムに合わせていく方法の一つで、曲の主人公になりきる練習をしている」と答えていた。(Mr.サンデー)

それがどういうことか、直ぐに理解出来なかったけれど(実はずっとずっと考えていた)、その役になりきったとしても、1歩引いたところで客観的に見て、感情をコントロールするということなんだろうか。

 

「1人で練習していると客観的に見れない」(S-PARK)

「客観視」とか「客観的」という言葉を記者会見やインタビューでよく発していた。

自分以外の見てくれる目がないのは怖い。誰かがいてくれるとそれだけでモチベーションになる。それに自分の思う良いと他人の目から見た良いは違う。感覚だけを頼りにしていると狂ってきても気が付かない。どん底に落ち込み3Aが跳べなくなったのもこういったことが原因の一つかも。たった一人の練習で自分以外の目がないから、客観的に見る力が必要。だからあのようなトレーニングをしていたのだろうか。でもだからと言って、あれだけ完ぺきな形で演じられるのはさすが羽生結弦。

 

結局、このコロナ禍も羽生結弦という人を成長させるきっかけとなったようだ。

 

今までのように恵まれた環境でコーチや大勢の仲間とトレーニングをしていたら同じ曲でも違ったものが生まれていただろう。「SEIMEI」を超えたと感じさせるほどのものにはならなかったかもしれない。憧れの人の背中を追っていただけと言っていた先シーズンの「ORIGIN」がもし今季だったら・・・とちょっと想像してみたり。

 

 

結果的には全日本は開催されて良かった。選手、関係者、観客の中にコロナウィルスに感染したという話はとりあえず聞かない。

彼が出場しそこで発したメッセージや行動で励まされたり、コロナに対し緩んでいた気持ちを引き締め、もっと注意深く気をつけるようになった人も多い。

 

羽生結弦、今だから伝えたい――思い込めた直筆メッセージ「医療関係者の皆様」へ― スポニチ Sponichi Annex スポーツ

 

 

 

 

 

はい。

備忘録終わり。

 

 

音を消して演技を見ると、聴覚を使わない分、いろいろ見えてくると以前も書いていますが、

今回は特に上半身の柔らかな動きの美しさに惹かれます。それから肩から指先の表現力、目線、表情まで。

振りが自分のものになっていないと、なぜそこで腕を広げたのかわからないなど、その動きが不自然だったり取って付けたように見えてしまいますが、羽生さんは全ての動きに必ず意味があり表現していることがわかります。

 

そして全体に繫ぎ部分の動きが柔らかく、余分な力が抜けたようで、そのために各要素や強い表現部分が際立ち、演技に広がりを感じ、見ている側はより深く物語を受け入れることが出来たように思います。今まではどちらかというと人を圧する強さ激しさが全体を占め、正直、もっと力を抜いたらなぁと思うこともありましたが、「天と地と」ではそういう感じが全くなく、なるほどこれが「感情を抑えて客観視」したことに繋がるのではないかと思います。ほんと緩急、大事です。強さを出したければ、弱いところを出せです。

 

先日「天と地と」の公式練習と競技中の演技を並べて比較した動画を見たんですが、これが怖いくらいのシンクロ。

足元の歩数(と言っていいのか?)とかエッジの傾き具合とかもそうですし、腕、上体、顔の角度、目線の方向まで。すべて計算してここまで作りこんでいるんだと、もう本当に驚愕しました滝汗まだ見てない人、こちらです下矢印

 

 

 

私にしては珍しく長文。

ここまで、読んでいただきありがとうございました。

次は・・サウンドドラマ収録の件とか報告できたらいいなあ。

 

では皆さま、健康でお過ごしください。

 

 

追記

今日、ISUの羽生さんのバイオが更新されましたね。プログラム記載もそうですが大学生から[

「fulltime athlete」にってなんだか嬉しい。世界選手権に向かってるんですね。

2020-2021シーズンがあるって嬉しいですね照れ

 
 

 

 

温かくなってきましたねチューリップ黄チューリップ赤チューリップ紫