●体験記:潰瘍性大腸炎)小学6年の男の子と保護者 | 潰瘍性大腸炎 & クローン病&過敏性腸症候群の改善・完治・根治

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調べ物をしていて偶然に見つけたサイトで紹介されていた子ども患者と、お母さんの手紙です。

全文抜粋させていただきました。

 

病気の子どもの学校生活を支える ―潰瘍性大腸炎・クローン病-

 

http://www.zentoku.jp/dantai/jyaku/h25kaiyou_kuroun.pdf

 

 

● 経験者からのメッセージ
僕は、4 年生のときに発症しました。
体はしんどくなかったですが、トイレに行くと下血があり、しだいにトイレに行く前に漏れてしまったり、貧血にもなりました。
(潰瘍性大腸炎という)病名がわかったときは、学校にいつもどおりいけるか、下血はとまるのかということが心配でした。
入院が決まったとき、どんな治療をするのだろうか、ちゃんと効くのかと心配でした。
入院生活ではどれくらいの入院になるのかと不安でいっぱいでしたが、友達と遊んだり、院内学級にいったりと楽しいこともいっぱいでした。
治療をいろいろしても効果がなく、どれをしたら効くのだろうかと思いました。
 (小学6年生児童)



●  経験者の保護者からのメッセージ
大きな病気に罹ることもなく元気に育ち、周りの子ども達にくらべ、身長、体重も平均よりいつも超えていました。

4 年生になった9月頃、風邪が長びき、1ヵ月ほど微熱がつづきました。その頃から、下痢や腹痛をうったえていましたが、「風邪」だと思っていたし、町医者も風邪の薬を出していたので、ずっと飲ませていました。


10月中旬、40度を超える熱が出て、鼻血を出す様になりました。その頃からトイレに行くと「血が出る」と言う様になり、トイレの回数もふえました。


学校の帰りに、下着をよごしてしまう位、がまんが出来なくなっても、なお、私は、「学校や家でちゃんとしないから、そうなるの」と怒った時もありました。今となっては、最悪の母親だと後悔してもしきれません。それからも、ずっと「トイレで血が出る」と子どもは言っていましたが、「子どもでも‘ぢ’になるの?」と軽く流していましたが、ある日、「一回見てみるから、トイレから呼んで」と言って見に行くとがく然としました。
小学4年生にもなると、1人でトイレをすませるので、いちいち見に行く事もなかったのですが、トイレの中は血だらけで言葉をなくしました。


次の日、すぐに近くの町医者につれて行きました。いつも行っていた病院ですし、肛門科もしていましたので、何のうたがいもなく行ったのです。子どもはいきなり指で診察され、痛みのあまり失神しました。私は肛門がどういう状態かわからなかったので、子どもがふざけて寝たふりをしていると思ったのですが、様子がおかしかったので、すぐに先生に「大丈夫ですか?」と聞くと、すぐに「紹介状を書きますので、すぐに行ってください」との事でした。


後日、市民病院の小児科でいくつもの検査をしましたが、「病名や原因がわからないので、後日もう一度、精密検査をします。」との事でした。ここまで来て、やっと事の重大さがわかったのです。「まさか、うちの子が」「今まで元気だったのに」とうらはらに、「もしかして、大変な事になっているのかも」と不安になりました。


何度検査をしても、「数値がありえませんので、今からすぐ母子センターに行くことが出来ますか?」と言われ、すぐ母子センターへ向かいました。2泊3日の検査入院の結果、「潰瘍性大腸炎」という、聞いた事もない名前を耳にしたのです。

 


病名がはっきりした以上、「くよくよしている暇などない」とすぐに頭は切り替わりました。自分を責めている暇などないと。しかし、説明を聞くと、治療法がなく、難病であり、原因が不明との事。その事を、小学4年生のまだ幼い子どもにどう説明するべきか・・・。

 

悩んでいてもしかたないし、治療法がなく、一生つきあっていかなければいけない病気をかくす事はできません。主人と私と子どもとで先生の説明を聞くことにしました。意外にも子どもは自分のおかされている病気を理解し、きちんと質問をしてどうすべきかを聞いていました。

 

それからと言うもの、ずっと子どもの気丈さに支えられ、今日まで来ました。ありとあらゆる薬や点滴をして、1回目の入院は寛解にもっていくことができましたが、成長期の子どもにはステロイドの副作用で1年間は身長が伸びず、とまってしまい、顔はムーンフェイス、すごい食欲と、いろいろなリスクもありました。ステロイドは、40ml から少しずつ減らした時、再燃したのです。

 


2度目の入院。1ヵ月の予定でしたが、どの薬もどの点滴も効果がなく、半年後、体重は10㎏減り、状態は最悪でした。腹痛・下血・吐き気・関節痛・頭痛が毎日毎日続きました。栄養をとるため、IVH を入れましたが、症状は良くならず、このままでは腹膜炎をおこして、体内で出血してしまうとの事。次の日、手術となりました。

手術までの約1ヵ月間は、24時間関係なく1時間おきのトイレでの下血、吐き気でぐっすりねむれない状態でしたので、手術がきまり、「これで少しでも楽になれるのなら・・・」とホッとした記憶があります。

 


手術のあらかじめの説明はしていただき、書類にサインをしましたが、やはり不安はありました。「今の状態で、手術にたえることが、できるのか・・・」


術後のことは考える余裕もなかったほどです。

 

手術が終わり ICU で、摘出した大腸を見せていただき、涙が出ました。「大人だったらやぶれていましたが、子どもだから、これだけ、もったのでしょう」と先生は言いました。パレットにのせられた大腸は、すでに、ボロボロで、痛々しかったです。子どもの体の中で、がんばって病気と闘っていたのが、すごくわかりました。「10年間ありがとう」そんな気持ちになりました

 

ICU に入り、子どもと会うと、とてつもなく、くるしんで、いたがっていました。お腹をみると、見たこともない、内臓らしきものが、とび出て、ビニールのようなものにおおわれていました。生まれて初めて見た、人工肛門(ストーマ)というものでした。術後、人工肛門になることを知らなかったため、驚きと、とまどいでいっぱいでした。

 

その後話を聞くと、いったんストーマにして、半年後、肛門とつなぐ手術をするとの事でした。術後の痛みはひどく、1か月ほど、痛み止めの点滴をしていたと思います。大腸がないので、小腸が動くと痛み、切った後の傷の痛みとの闘いでした。


子どもは、意外にもストーマに理解を示して、大腸のかわりをしてくれている、お腹から飛び出している小腸をいとおしく思っている様子で安心しました。


自分の姿に理解できず、ストーマをいやがる人も少なくないと聞いていたので、また子どもにはげまされ、助けられました。はじめは、うまくあつかうことができず、困った時もありましたが、ストーマ専門の方にずいぶん助けられ、感謝しています。

 

そして何より、約1年弱の入院生活を少しでも普段とかわらずできたのは、支援学校と先生方のおかげです。支援学校がなければ、「ただの入院患者」で終わっていました。しかし、支援学校のおかげで、「子どもが子どもらしく生活」できる時間をもてたのです。地元の学校にもどる時の勉強の不安もなく生活できたのは院内学級のおかげです。親子ともどもお世話になりました。

 

本当にありがとうございました。これからも病気の子どもたちが少しの時間でも「学校に通う普通の子ども」でいられるためにも、支援学校は必要です。辛い治療があっても学校に通っている時間だけは、病人であることを忘れ、生徒になれるのです。これからもたくさんの子どもたちに、勉強や遊び、笑いを与えてください。

 


病気になって子どもは言いました。「病気の子ども達の気持ちをわかってあげられるようになった。」と。私は、子どもに言いました「ママは病気の子どもをもつお父さんやお母さんの気持ちが分かる人になったよ。」と。病気になって失った物ばかりではなかったです。本当に人の痛みが分かる、人の優しさが分かるようになった気がします。同じ病気や、違う病気をもつご家族が、1日でも早く幸せになりますように。 

 

 

● 医療関係者側の説明:

炎症性腸疾患とは、消化管に炎症を引き起こす慢性の病気です。その原因について はいまだ充分には解明されていません。炎症性腸疾患に、,主に潰瘍性大腸炎とクロ ーン病の2つがあります。

日本の患者数は、潰瘍性大腸炎が10万人以上、クローン病 が3万人以上とされ、16歳以下で発症した患者さんの割合は潰瘍性大腸炎で 13%、クローン病で6%とされています。特に8歳以降に発症する小児患者が多い とされています。