自分との対話① | くう・ねる・つなぐ  現代レイキと生命の樹

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レイキと生命の樹から内側の自分に触れる
名古屋の現代レイキマスター・さえのブログ

ブログを書こうとしてPCのスイッチをいれたら

壁紙がノルウェーのフィヨルドの写真に変わっていました

しばらく釘付けになるほど美しい入り江の写真

 

以前パタゴニアでフィヨルドを見たことがありますが

全然ちがう国、違う文化なのに

家々の佇まいや雰囲気がとても似ていて驚きました

 

どこか遠くにいきたいなあ…

午後から旅行会社のパンフレットでも

かき集めてこようと思います

 

さて、今回は自分と対話するときの目線のお話です

「内なる自己」というくらいですから

当然意識は内に向かっていくと思いますが

話しかけてる側、見ている側の自分は

どんな感じでしょう?

 

自分の体の奥をのぞき込んでる感じや

胸の奥に潜っていく感じ

体ごと外側から見ている感じ

向き合って座っているイメージ

あるいはもっと高い視座から自分を観察するイメージ

いろいろあるのではないかと思います

 

「こっち側」のポジションごとに

意識のあり方が違うのではないかと思ったので

そのことをすこし掘り下げてみようと思います

 

内なる自己、自分の魂は

実は自分よりもずっとずっと大きい、という記事を以前書いたのですが

埋もれてしまって見つからず

今日のお話はもしかしたら半分くらい

繰り返しになってしまうかもしれません

 

さて「自分と話そう」としたとき

それぞれのやり方があっていいのですが

私の場合はなんとなく胸に手をあて

目を閉じて心の中で「ねえねえ」と話しかけます

自分の深いところで何を感じているのか探る感じです

 

はじめのうちは

なんとなく自分の体の中で話している感じですが

少し深くなってくると体の周囲の気のようなものの中で

どちらの声ともなく独り言が響き始めます

それをふむふむと聞いている「私」は

フィールドの真ん中あたりにいて

この時点で位置関係が最初と変わってしまっているのです

ひとしきり「心の声」を聞いたあと

内なる自己に話しかけるとき

「私」は更にその外側にいて…

 

あまり意識したことがなかったのですが

ふと思い立って観察してみると

すごくいろいろな意識の「立ち位置」が

あるということに気が付きました

 

元々、私たちの魂は大きな全体の一部ですから

見方によっては全体と同じ大きさであると言えます

 

水の中の水のイメージです

全体は入っている水の総量ですが

その中の一滴を区切るものはありません

一滴を取り出せば区切られたように見えますが

取り出した一滴はコップに戻れば他と区別することはできません

現実的なつながりにおいても

霊的なつながりにおいても

これは変わりません

 

厳密に最も小さいものは分かれているのかもしれませんが

私たちが「水」と認識できるようなものは

もうすでに膨大な集まりであり

全く同じ集まりを再び一滴にして取り出すことなどできないのですから

「区切りはない」のです

 

なんだか長くなりそうな予感がしますので

今日はここまでです

続きは次回…

 

******** 4月のレイキ練習会・体験会 ********

4/15(金)  14:00~16:00

4/20(水)  13:00~15:00

4/26(火)  14:00~16:00

 

会場は名古屋の金山総合駅近くです

詳細は参加者の方に直接お知らせしております

各回定員を4名とさせていただきます

参加費(¥1,000)は当日現金でお支払いください

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