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今回は、

大きな転機のうちの

3度目にあたる

45歳に自分らしく生きる選択を決めた

お話をシェアしますね。

 

2018年にコーチングを知り

好奇心から、コーチングを学びに

勤務後に大学へ通ったことがあります。

 

そして翌年の2019年の春、

その時知り合った大学教授との

コーチングのなかで

急に、離婚した時に叶えられなかった

もう一つの夢を思い出したのです。

 

それは【海外花留学】

 

「50歳に海外花留学します」

と宣言しておりました。

自分でも驚きの発言でした。

 

その年は身の回りで様々な悩み出来事が

起こっていました。

職場の人間関係の悩み、今後の仕事のゆくえ

子育て、家族関係、体のこと・・・。

 

ガンの疑いが浮上し、精密検査を

受けたことで、自分の体のことに

も向き合うようになっていました。

 

また同時期に、大変ご活躍されている

3名のコーチとの関わりから

徐々に、50歳になるまでの5年間を

どう過ごしていこうか真剣に考えるよ

うになりました。

 

翌年の2020年春、思い切って退職をし

新しい第2の人生をスタートさせます。

 

その時45歳。

育児休職をいただきながらですが、

ずっと勤務を続け安定した職を手放すのに

勇気が必要でした。

 

でも、この会社員としての人生は

充分やってきた。

今度は、叶えられなかった夢に向かって

違う働き方を通して生きてみたい

挑戦してみたい。

 

そんな、母の私が夢へ挑戦し前進していく姿を

子供達に生き様を見てもらうことこそが

最高の子育てなのではないだろうか。

 

子供達がそれぞれの夢に向かって

それぞれ魂の望む人生を送ってほしい

夢を叶えていってほしい、そう思ったのです。

 

その後、

なりたかったフローリストとして

働いていた時期もあります。

 

ただ、振り返って

はっきりと自覚したことがありました。

 

それは、

当時のフローリストへの想いや

海外花留学といった夢は、

新しい人生へ

進むきっかけであったこと。

 

本当の私は

「自由に魂の望む人生を生きてみたかった、

 私にしかできないことで世の中に貢献したい」

そう願っていたのです。

 

20歳から入社して25年間。

 

日々の仕事では色々な悩みもあったけれど

夢であった秘書も叶えることができた。

辛い離婚後、再婚して念願の母にもなれた。

 

いい母親になろうと頑張りました。

 

家族のため

子供たちのため

生活のためにも精一杯働きました。

 

仕事も異動の度に、一から覚え直し

お昼休みは食事を手早くすませ

職場近くにあるスーパーに買い物に出かけ

常温でも大丈夫な食材を購入して

帰宅後少しでも早く夕食を作れるように

家事をこなせるように頑張っていました。

 

ふと。そんな日常に

むなしさを感じることが。

 

当時 私はいつからか 自ら進んで

自分の想いを後回しにして生きていたのです。

 

主人公ではなく

自ら進んで 脇役として生きていたのです。

 

そのことに気が付いてから

私は自分の人生を

自分自身が主人公の人生を

歩む覚悟をしたのでした。

 

最後までお読みくださり

ありがとうございました😊