子宮頸がん
についてお話をさせていただきます。
7年前、四男君を妊娠して
妊婦健診で発覚した異形成から始まります。
異形成が見つかってから
手術まで何年もかかっており
円錐切除手術をして現在6年経過しているので
記憶も薄れてしまっているので
ザックリになってしまいますが
何卒、よろしくお願いいたします
三男と四男は年子の為
まだ小さな三男を抱えながら
四男をお腹の中で大事に育てていた
本来なら月一の我が子を見れる
幸せ溢れる検診の日。
「う〜ん、異形成が出てるねぇ」
「異形成???なんですか?それ」
「子宮頸がんの前段階で今は軽度で出てるから経過観察で大丈夫だよ」
「え?ん?!癌?え?お腹に赤ちゃんいるんですけど…産めないんですか?」
「軽度だし軽くでも出ちゃう人もいるからそんなに心配しなくて大丈夫だよ。ちゃんと経過観察して様子を見ながらだけど出産は出来るから」
確かこんな感じで
初めて癌とかそんな話をされて
パニックってました
頭が付いていけてなくて
でも医師はサラッと説明するだけで
流れ作業感がすごくて
全く理解が出来ていませんでした。
診察室から出てお会計の所で走馬灯のように
さっきまでのドクターとの会話を振り返りながら
ボーっと一点を見つめながら考えて座っていると
助産師さんが駆け寄ってきて
渡し忘れていた異形成の事について詳しく書かれた紙を私に手渡しながら
「気を落とさないで。頑張ってね」
と一言。
その言葉は助産師さんからしたら
慰めであり励ましであり
純粋に応援してくれた言葉だったんだろうと思うけど
あの時の私には
【え?そんな?ヤバいやつ?嘘でしょ?】
と大事に感じてしまう一言でした。
この後また1人でボーっとして
総合病院のお会計を待っている人混みの中で
エコー写真と異形成の紙を持った妊婦が
まさか絶望の中
涙を流しているなんて
誰にも気づかれる事なく
静かに涙をこぼしていました。
異形成とは簡単にコレ
帰ってから
子宮頸癌
について調べまくって
気を落としながらも
【とりあえずお腹の赤ちゃんは産めるだけ救いだ私の事は二の次で良い。】
と思っていました。
検診の度に異形成のレベルが上がってない事を祈りながら
無事、38週を迎えて
自然に陣痛が来て
経膣分娩で元気な産声を上げた
四男君を出産しました
分娩時間は2時間
何も問題なく安産でした
頸管を通って来た赤ちゃんになにか異常が起きないかなど
赤ちゃんへのリスクや影響も散々ドクターに確認し
大丈夫だと安心していたので
不安はありませんでした
産後も
しっかり経過観察のため
数ヶ月に1度通院をして細胞診をしていました。
四男君が1歳4月になった頃。
中等度異形成だったのが
高度異形成に上がってしまい
「円錐切除をしよう」
と担当医が言ってくれて
本心で私は
「やっとずっと私の身体の中で育ててた癌が無くなるんだ…取っちゃえばみんなと同じ普通の28歳の女の子で生きれるんだ。やっとだ…やっと終わる…」
と怖さなんて一切なく
肩の荷が下りた感覚でした。
多分…当時は自覚がなかったけど今思えば
疲れ果てていました
あの時は年子の子育てをしながら
幼稚園児と小学生
4人の息子達を育てて
自分の身体がいつ癌になるか分からない爆弾を抱えている気持ちがありながらも
母でいなきゃ。
子供を生かさなきゃ。
育てなきゃ。
悩んでる暇なんてないし
悲しんでる暇もない。
と
不安、悲しみ、絶望
という気持ちを奥底に閉じ込めていました。
ドクターの一言で
やっとこの呪縛から解放される…と思えた
なんとも不思議な感覚で
手術の日を迎えました。
体重を測ったり
色々検査をした後に
病室で手術着に着替えて
手術室まで自分で歩いて行きました。
私は初めての妊娠をしてから
ラテックスアレルギーを発症しており
手術室の入口には
ラテックスアレルギー
とデカデカと書かれてありました
万が一の事がないように
ドクターや看護婦さんが忘れないように
ミスのないようにしてくれている証ですね
ありがたいです
点滴で麻酔を入れて
ドクターが
「一緒に数をかぞえてくださいね」
と言うので私も一緒に数えながら
「1.2.3......」
………
3で眠った私が次に記憶があるのは
目覚めた時には担架に乗せられて
エレベーターで移動してる最中でした。
まだフワフワしていて
自分でも何言ってるか記憶がないけど
後に家族から聞いた話によると
「なんかすごく眠くて〜寝ちゃってた〜ごめんね〜」
とフワフワした話し方で話していたそうです
そりゃそうだ
麻酔かかってんだから
病室に戻ってまだ麻酔が効いていて
またベッドで眠ってしまい
次に起きた頃には
足にはフットポンプが着けられていました。
ここで完全に目が覚めて
麻酔が切れたみたいで記憶もしっかりしてます。
起きてからフットポンプが外されて
看護婦さんに
「飲み物飲んでもいいですか?」
と聞いて
「飲めるならいいよ」との事だったので
1階にあるコンビニでコーヒーを買いに行きたい。
と話すとドクターと看護婦さん
ゔえええええ!!!
歩けるの!!?
と驚き←ながらも
本当に気をつけてね?!転ばないでよ?
とOKをいただいて
点滴をカラカラ押しながら
5階の病室から1階のコンビニまで自力で歩いて
カフェラテ(メガサイズ)を買って
5階の病室に戻りました。
この後、面会に来てくれた友人にメガサイズのコーヒーを見られ
経緯を話したら
頭がおかしいのか!とお説教を受けたのは今となっては笑い話ですが
私の場合、痛い時こそ病んでる時こそ
動きたい頭が少々おかしいタイプなので
通常は術後ゆっくり安静にしていましょう。笑
2泊ほどして無事退院して自宅に戻り
母が代わりに来ていたので
家事育児は数日休んで
自転車は1ヶ月は乗らず
お買い物や足りないものは
ママ友などの支えがあり
術後を過ごして日常生活へと戻りました。
その後も術後の経過観察は必ず受け
3回?だったかな?
連続で異形成が出ずクリアしたので
通常通り年に一度の検査でOKとの事で
無事に産婦人科を卒業しました
子宮頸癌、円錐切除についてかなり
ザックリでまとめましたが
何年も長い間、私の体の中で癌細胞を温存し
この長い期間の中、色々な感情もあり
ある日には夜中や子供が寝静まった後
家族や周りに感情をぶつけた日もあったし
落ち込んで泣いて
そんな爆弾を抱えて
爆弾を育ててる自分を受け入れて
無理くり納得させて
また何もなかった様な顔で母をする。
自分の体が違う気がして
通常の人と違う自分が嫌で
癌
て言葉を言われても
心が麻痺して
「あ、そう。癌ね。はーい」なんて
なんとも思わなくなったり
受け止めている様に見えて
受け止められていなかったり
自分でも良く分からない感情があったみたいです
術後から1度も再発はなく過ごせていますが
実は
円錐切除が決まり手術前に
疲れ果てていた私が担当医に
「もう4人も子供を産んだし今後は子供の予定もないから、こんな不安を抱えるくらいならいっその事、不安要素が生まれない様、子宮を全摘してほしい」と頼んでいました。
担当医が
私が当時まだ若いから今後何があるか分からないと
必要な所だけ
最小限で円錐切除をした為
妊娠可能な状態にしてくれていたのもあり
ただ今5人目を妊娠しています。
子宮頸管が通常より短い為
後期になると安静など
早産のリスクは増しますが
何ら周りの妊婦さんと変わらず
検診の頻度も内容も同じで妊婦生活を送っています。
出産に関しては5人目もあり
頸管が短い為、初の無痛分娩にして
前日入院で計画分娩としますが
私は自ら望んだ計画分娩なので
お産の方法もドクターと相談しながら
経過を見ながらですが
通常通り選択が出来ます。
子宮頸癌円錐切除をしていても
妊娠は可能でした。
異形成が出ても元気で丈夫な可愛い子は産めます。
何度も悲観的になり諦めようとしましたが
お腹の中にいる
5人目の我が子の胎動を今日も感じれる幸せを
与えてくれた執刀医にも看護婦さんにも
何より息子達に感謝をしながら
希望に満ち溢れた未来が楽しみで仕方がありません
また
円錐切除後の経過観察で通院中に
内科のドクターと別件で話をしていた際に
私の首を見た内科医のドクターが気が付いて
詳しく検査をしたら
今度は
甲状腺に腫瘍がある
との事で…
次から次へと
ポンポンと異形成から始まり
子宮頸癌終えたかと思えば
次は耳鼻科で腫瘍
トホホ…な人生ですが
甲状腺腫瘍についてはまた次回
時間がある時に今度は
甲状腺腫瘍について書かせていただきます