12月27日の朝

母の妹が

昨夜亡くなったと

店を営んでいる

3つ年上の従姉妹から

電話をもらった

 

 

享年92歳

 

 

元々肝臓が悪かったのだが

数値が良くないと言われて

入院していると聞いていた

 

 

母には8人の姉弟妹が居て

先に書いた従姉妹の母親が

41歳で亡くなってからは

母が

一番上のお姉さんでした

 

 

あの叔父もあの叔母も

亡くなったが

 

 

皆とても仲が良いのです

 

 

母の葬式の後

 

母の弟妹達は

私の前に並び

 

私に

 

長い間

姉がお世話になりました

ありがとうございましたと頭を下げた

 

 

小さい頃から

他人の中で育った私が

どれだけ寂しい思いをして

生きて来たのか

 

この人達には全然

わからないのだろうなあと思った

 

 

 

母に一番似ている弟が

電話をかけてきて

通夜、告別式の

場所と時間を教えてくれた

 

この叔父は私に

毎年盆や正月

本家で会う度に

ミルクはお母さんばみらんばよ

お母さんをよろしくねと言っていた

 

 

私は

自分だけに言われる

この叔父の言葉が大嫌いでした

 

 

久しぶりに会った叔父ちゃんは

とても小さくなっていた

 

 

おばあちゃんは

きっとあの世で

叔母ちゃんに会って

あちらに入る手続きを

テキパキテキパキ

教えてるんだろうね

 

そして

ちょっと間違えて

あれっ??なんて

惚けてるんだよ

 

おばあちゃんって

そんな人だったよねと

笑いながら娘が言った

 

 

母は

私の娘を

自分が産んだようだと言って

とても可愛がっていました

 

 

おばあちゃんね

あれは

自分は眠ったと

思っていたと思うよ

そしたら宙に浮いててさ

あれっ?

あれっ??って

本人が一番

ビックリしたと思うね

 

唯一

母の死に目に間に合った娘が

今でも言う言葉です

 

 

母は

眠るように

天寿を全うしました

 

 

叔母ちゃんの長男の

喪主挨拶は

4年半前の私と同じだった

 

 

叔母ちゃんの

息子も娘も涙を見せなかった

 

 

私は

母の通夜も葬儀の時も

泣けなかった

 

娘も息子もハルも

泣いていた

 

曽孫のハルは

最後のお別れの時

母の棺の回りを

クルクルクルクル周りながら

おばあちゃん、おばあちゃんと

泣きじゃくっていた

 

 

葬儀後

母の古い友人から

届いた葉書には

 

 

お母さんがご家族に

愛されていた事がわかり

嬉しかったですと

書かれていた

 

 

この人には子供の頃

貴女のお母さんは

冷たい人だけど

辛抱せんばたいねと言われて

 

それがずっと心に残っていた

 

 

この葉書で

母はこの人にも

愛されていたのだと知りました

 

 

 

叔母ちゃんは

一人暮らしでした

 

息子と娘が

それぞれ3ヶ月間づつ

単身で帰って来て

介護をしたそうだ

 

 

長男も長女も

ちょっと笑顔も浮かべながら

叔母ちゃんとの日々を語っていた

 

 

私は

泣けなかった自分を

情けなく思っていたけれど

 

泣けなくても良いんだと思った

 

 

通夜が終わって

親族だけで写真を撮りました

 

 

明るい人が真ん中だよ!

 

本家の長女が私に言った

 

 

イヤイヤ〜

明るくないし〜

 

 

イヤイヤ〜

ミルクちゃんは

目いっぱい明るいよ!

 

 

目いっぱいは

 

言い過ぎだけど

 

 

これだけは

幼い頃から

自分の取り柄と思っています

 

 

コロナが5類になって

数年ぶりに

母の親族に会いました

 

 

またまた

長い記事になりました

 

読んで下さった方

ありがとうございます