東京は梅雨入りか?というこの日
 
前日の天気予報は曇りだった山梨県小淵沢
 
 
早朝東京を出て
中央自動車道の八王子辺りで
雨がパラパラ降ってきた
 
 
談合坂サービスエリアで休憩していると
雨脚が強くなった
 
 
山登りやゴルフだろうなといういでたちの人たちは
少し残念そうな表情をしていた
 
 
 
わたしも流鏑馬とブリティッシュの練習をしに行くところだった
 
 
初狩パーキングで休憩
 
 
 
 
富士山は厚い雲に隠れて見えない
 
乗馬クラブから連絡があり
流鏑馬はできないが
インドアでブリティッシュはできるとこのこと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
乗馬クラブの入り口にオブジェが…
 
丸太をチェーンソーで削って作るんだっだけ?
 
 
馬に寄り添う動物たち
 
愛があふれていると感じた
 
 
笑顔がかわいい
 
 
 
 
 
 
 
 
ブリティッシュは4年ぶり
 
インストラクターさんには
初心者だと思って教えてください
とお願いした
 
 
 
相棒はチーズくん
 
 
 
 
 
 
 
 
長らくブリティッシュをやってきて
競技大会にも出てきたが
当時は訳も分からずがむしゃらだった
 
 
インストラクターから
「脚 脚」 「拳 拳」と何度も言われれば
だんだん扶助が強くなったり頻繫に出したりして
うまく馬をコントロールできた気がしなかった
(自分の理解度が足りなかった)
 
 
 
 
 
 
 
この日のインストラクター wさんは
「騎乗者は何もしてないように見えるけど 
馬はちゃんと動いているのって カッコいいですよね」
と言った
 
 
「感覚的なことなので 私が それいいですね 
と言ったときの状態を覚えておくといいです」
 
 
 
 
なるほど…
言われるがままにしていたら
感覚なんてわからない
 
 
wさんは 
騎乗者が馬にどうしたいかを自主的に伝えることを大切にしているようだ
 
 
 
 
速歩や駈歩がスムーズにいって
乗っていて気持ちいいからと延々と動いてるのはよくないらしい
 
 
適度に運動種目を変えて
馬の集中を切らさない
 
扶助はだんだん弱く少なくしていくこと
 
適切なタイミングでほめること
(不適切かつ過度な愛撫は馬が混乱するだけ)
 
 
 
 
 
 
そうすると
いつの間にか
馬と会話しているような気分になる
 
 
馬は話せないし
乗っている人の様子は見られない
 
 
馬に寄り添った合図と声と気持ちが
ストレートに伝わると感じた一時間だった
 
 
 
 
 
 
 
忘れていた馬場馬術の知識を思い出した
 
そこに感覚的な情報が加わると
馬と会話するという新しい楽しみとなった
 
 
 
 
馬場馬術をしていなかった時期に
流鏑馬や空手に夢中になっていたが
特に空手をやったおかげで
身体の感覚が研ぎ澄まされた気がする
 
 
それが功を奏したのかもしれない
 
 
 
 
 
 
 
さらに
自分を整えておくこと
日常をおろそかにしないこと
それがあらわれると感じた
 
 
馬と気分よく
インストラクターさんと気分よく
 
そうしたかったら
自分がいい状態でいようと思った
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
レッスン終わって
馬房に放したら
額をよせてすりすりしてきたチーズ
 
わたしも鼻を近づけてすりすり
 
 
ありがとう チーズ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大雨のこの日は
ほとんどの馬が馬房でまったり
 
玄武にもごあいさつ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ツバメの巣から落ちてきた
卵の殻
 
巣立ったんだなぁ…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その日の晩のお月様
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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