『君を抱きよせ この街に踏み出そう


贅沢な夢を かなえている街

見えない力に流されそうな日々と
闘い続けた 君に励まされて

切り開きたい 目の前の暗闇を

終わりのない夢 終わりのない情熱
これからもずっと 走り続けるさ

どんな過去さえも 君と乗り越えてきた
きっと二人なら 何もこわくはない

懐かしいあの街角に
もうすぐ夜明けが訪れる前に
話しておきたいよ 明日からのことを

新しい何かが始まると…』


令和5年3月3日 13歳11ヵ月11日で急逝した愛犬『コムギ』について…。②


前回からのつづき


加害者からの毎日毎日続く暴力や暴言の中、

ある日、『コムギ』の目が死んでいることに気づいた。

虚ろげな瞳、それと同時に人間で言う100円ハゲのような脱毛が何ヵ所かできていて毛が落抜けち皮膚が見えていたのだ。


過度のストレスによる症状だということは想像がついた。


私も一時期『コムギ』からもらった心安らぐ時間により鬱状態が回復してきたように思えていたが、この頃から更にエスカレートしていった加害者からの暴言や暴力により疲れ果て鬱状態が悪化してきていた。


しかし、自分の命より『コムギ』の『命』を守るべく私は前へ一歩足を踏み出すことになる…。


以前にも書いたが、警察というのは全く役に立たないどころか『公に認められた国の犯罪組織』である。

加害者からの暴力等の相談をしたところで何の解決にもならない。


とあるところで、市役所に『男女共同参画課』の『DVの相談窓口』があるという情報を得た。

『どうせ役には立たないだろう』と思いつつも一部の望みをかけ相談に行った。


加害者と生活していた『市』に住民票を移しておらず、実家の『市』に住民票を置いていたので他の『市』に相談するのはお門違いだと、勝手に思い込んでいたのだが、ここは『コムギ』の命を守るため勇気を振り絞り相談することにした。


予想外の展開だった‼️


加害者に出会ったきっかけから今までの生活、暴力や暴言に命を脅かされていたこと等、事細かに説明させられたのだが、とても親身に話を聞いてもらえたのだ。


『それで、結局のところ、これからどうしたいですか?』という質問に空かさず『兎に角、逃げたいです。コムギの命を守るためにはあの家を捨て、加害者から逃げたいです。ただ、お金も全て加害者に没収され、頼る人もおらず、私の力ではどうすることも出来ません』


そんな私にシェルターに入って新しい住みかを探すことを提案してくれた。

お金に関しても生活保護という制度があるから心配しなくて良いと説明を受けた。


『コムギ』のためにはその提案を受け入れるしかなかった。

相談したその『市』の担当者は私の『逃げる』という選択に賛同してくれた。


シェルターに入るには手荷物一つくらいしか持っていけないこと。


『コムギ』は勿論シェルターには入れないのでどこか安全な場所に避難させておくこと。


実家を含め、他言無用で逃げなくてはならないこと。


全く知らない土地に移り住むことになるし、今まですんで居た場所や実家は勿論、近隣の市町村には近寄れないこと。


家族を含め友達などにも一切連絡が取れなくなること。


これらが逃げてシェルターに入る最低限の条件だった。


そして実行日の相談だ。


相談しに行った日は9月下旬。

私が加害者と出会ったのは20年前の4/20だったので、10/20。丁度20年半という節目の日に実行に移すことにした。


直ぐにでも…という気持ちはあったが、『コムギ』を避難させる場所探しや加害者と住んでいる家の荷物を全て空っぽにして逃げたかったからである。


説明時に見せてくれたパンフレット類も『持って帰って加害者に見つかったらまた暴力行為を受ける可能性があるから、置いて帰ってくださいね』と言われた。

この瞬間、『この人たちなら信頼できる‼️』と確信した。

今までそんなことまで考えてくれた人達はいないからだ。


この日から10/20決行の日まで、人生で一番忙しい期間が始まった。


手荷物一つ!


つまり『コムギ』関係の書類、自分の生きていく上で必要な書類、着替え上下1着分でバックはいっぱいになった。


『コムギ』を預けるのに必要なご飯や敷物、クレート(小さなハウス)は一式まとめてクレートの中へ詰め込み『コムギ』セットを用意した。


着替え等はシェルターで用意してもらえるという話だったので、家にある服は全て破棄。


そして私の唯一無二の心の支えだった大切な大切な全部揃っていたTMNETWORK のCDやDVDも全て手放すことになった。


新しい生活を迎えたらまた探して少しずつ買いそろえれば良い。

その時はそう思うしかなかった。


ただ、写真集などの書籍はどうしても手に入らないものばかりなので、段ボール一つにまとめて実家で預かってもらうことにした。(数年間は実家ともやり取りできないことになっていたのだが、それでもいつか手元に戻すことが出来るかもしれないと僅かな望みに掛けた)


この間も、加害者からも暴言や暴力は私にも『コムギ』にも及んだが、真っ暗闇の中の小さな希望の光を胸に着々とバレないように準備を進めた。


メンタルの落ち、鬱症状が悪化していた私もこの時ばかりは動かない頭のなかをフル回転させていたが、空回りするばかりで思うようにスムーズに物事を運べなかった。

身体中アザだらけで痛みを伴っていたが、そんなことを言っている場合ではない状況だった。


『コムギ』の預け先が一番の難関だった。

シェルターから何処へ引っ越すかもわからない。

しかし、地元や実家周辺など加害者に絶対に見つからない場所を探し3週間以上預かってもらえる場所。


片っ端から問合せ、ようやく1ヶ所みつけたのだった。

『一度連れてきてみてください。どんな感じの子か見てから判断します』

速攻で車に乗せ、1時間。

とある市の動物病院に駆け込んだ。


『私には身寄りもいなく、コムギのかかりつけ医もおらず…。私が大きな手術を受けることになったためどうしても預かってほしいんです』


嘘も方便。そんな理由がない限り、長期間預かってくれる場所なんて何処にもない。

必死で訴えたお陰で、無事に預かってもらえることになった。


洋服やTMNETWORK 関係のもの、その他色々な荷物全てを破棄するのにも細心の注意を払い、何度かに分散してバレないようにゴミとして捨てた。

捨てる瞬間、ゴミ回収されるまでの時間は物凄い緊張感でいっぱいだった。


そんなこんなで、あっという間に10/20を迎えたのである。


つづく…。