それは突然の出来事だった


2/28 22:00頃


次男が初めて自分のお金を使い、我が家に迎えたハムスターが


亡くなった


寿命ではない。事故死。


泣き崩れる子供達。


永遠に続くのではないかと思うほどの絶望。


パニックを起こす長男(中1)


亡骸を抱きしめながら、別れを受け入れられない次男(小5)


その狭間で優先順位を瞬時に叩き出そうとする脳内のわたし。


お風呂上がりに何かが変だと察知し現実を知る祖母。


我が家は悲しみに明け暮れた。


誰も言葉を発さず、ただただ悲しみと寂しさと辛さと苦しみを味わった。


わたしは眠れない一夜を明かし、子供達の心中を想う。


起きたあと、みんなの目がパンパンに腫れてる中、庭に埋葬した。


泣きながら。


ごめんね。ありがとう。

とそれぞれがそれぞれにつぶやく。


生きてる間は、そこにいるのが当たり前


イタズラするのを微笑みながら見守る視線

時には、こらこら!と怒られながら連れ戻される日常


夜中の運動がうるさくて眠れなかった日

自己アピールが激しめの我が家のハムスターは、存在感がいつのまにか大きくなってた。


迎えてもうすぐで1年だった。


もう少し一緒にいたかったな。と呟く次男。

その目には涙がこぼれそうなくらいにじんでいた。


生きてれば必ず誰もが向き合うことになる『死』と『別れ』


私たちは、なんのために生き

そして、死ぬのか


そんな大きく深い課題を体感した日々


そんな絶望の中、わたしを救ってくれたのは『日常』だった。


初めて、家族のために、家族が元気になるよう想いをたくさん込めて料理をした。

そう。あんな感覚で料理をしたのは初めて。

いつもとは何もかもが違う

母としての役割、大人としての責任、栄養バランスを考えての料理、どれとも違う。


ただただ、想う。

他の何も考えず、未来のことは1ミリも案ずることなく、無心に包丁を握り、無心に鍋をふる。


奇しくも、この時に初めて


わたしは


『今ここに、ただ在る』


を体感したのだ。


引き換えにしたものはとても大きく重厚な命


でも、絶望の中の体験と体感は何にも変えられないものとなった


もうすぐあの悲しみに暮れた日から1ヶ月。


我が家は日常を取り戻し、悲しいお別れを消化しながら進んでいる。


私たちは自分の人生をどう生きるか


をきっとずっと探しながら生きていくのだと思う。


大切なことを教えてくれてありがとう。


私たちは、あなたのことをずっと忘れないよ。