1981(昭和56)年11月25日(水)
AM1:05 フジ ザ・スター
その最終回。今回はタイトルは「出発(たびだち)」です。
はじめは真っ赤なボレロの付いたロングドレス。真夜中だったけど、ちゃ~~んと始めから見ました。
髪形は、片方だけを後ろに流して、反対側はサラリと外巻にカールしてました。最近はいろんなヘアスタイルで出てくれるので、それを見るのも楽しみです。
髪が短かった頃は、いっつも同じだったからすごい進化です。
曲は、「父娘草」「夕子の四季」「津和野ひとり」「信濃路梓川」「哀しみ本線日本海」
後半はコマの時の純白のドレスでした。
夜中に起きて見るのは大変だったけど、ものすごく見ごたえ聞きごたえがある番組でした。
1回だけ見逃したのが残念です。
PM7:00 TBS 速報日本レコード大賞最終ノミネート
金賞の10名のうちの一人として、マコの名前が呼ばれました。うれしい・・・・とにかくうれしい・・・
2年くらい前に見た茶色のフリフリの付いたロングドレスを着て、赤坂プリンスホテルの一角に座っていたのはよくわかっていたの。
だから、絶対に名前が呼ばれるんだろうと自信があったことは事実です。
でも、もし呼ばれなかったらどうしよう…って不安があったことも確かで、ちゃんと名前を聞くまで口から心臓が出るんじゃないかと思うくらいドキドキしちゃった。
「哀しみ本線日本海」森昌子さん・・・って呼ばれた時は、やっぱりものすごくホッとしたのです。
司会者がキンキンだったの。だからまるで自分がもらったように喜んでくれてて、見てて何だか感動しちゃった。
キンキンって、マコの事を「まちゃこちゃん」って呼んでくれるのよ。それがとってもいい感じなの。
ヘアスタイル、きょうはものすごく凝っていていつもとはがらりと違って大人っぽくて素敵だった。
歌ってる時に、す~~っと涙が流れ落ちて、その姿がとてもとても美しく光り輝いてるようだった。
「哀しみ本線日本海」は、ちゃんと2コーラスまで歌ってくれたし大満足です。
今年は本当によく頑張ってるね~~マーちゃん。やっぱり努力のたまものなんでしょう。
飛躍の酉年なのだから、翔んでくれないとね。
(注:当時22歳だった私が書いた文章をほぼそのまま書き起こしてます)
昌子ちゃんゴールの日まであと117日
宇都宮のラストコンサートを飾るスタンド花を贈りましょう企画です。
11月29日(金)締め切り。
今日の下野新聞の番組欄に 珍しく大きく写真入りで載っていた。