あれは、もう7年前のことです。
夏になる少し前の、暑い夜。
まだ葉っぱちゃん(二人姉妹の長女)が一歳で、妹が生まれる前のこと。
その日は夫が朝からイライラしていたので、朝、昼、晩のご飯はキチンと用意し家族で食べたものの、日中は私と葉っぱちゃんと二人で公園に出掛けたり、夫のいない寝室でゴロゴロしながら遊んだりと、出来るだけ夫と顔を合わせないようにしていました。
会話もほとんどなし。
「お昼ご飯、なに食べたい?」と聞いても「別に」とスマホを見ながら冷たく返事されたり、拒否する姿勢だったので、怯んでしまいました。
だから、もーいっか、葉っぱちゃんといつも通り過ごそう!と割りきった日曜日。
そんな日は時々あったので、今日もか……と思いつつ、夫に当たらずさわらず、なんだか息苦しい一日を終えようとしていました。
夕飯の時間は、さらに夫がイライラしていました。
夕飯作りの時はさすがにキッチンの中に葉っぱちゃんを連れていくと危ないので、リビングに放置していたのですが、おもちゃもすぐに飽き、テレビで大好きな『いないいないばあ』や『アンパンマン』を付けてもグズって。
ベビーゲート越しにママを呼ぶ葉っぱちゃん。
夫はそんな娘を無視しスマホを見続けているので、仕方なく「ごめんね、遊ぼっか」とリビングに行くのですが、夕飯の時間も迫っているので隙を見てキッチンに行き、料理再開、でもまた葉っぱちゃんはママを呼んで……とループしていたのです。
さすがに夫も葉っぱちゃんと遊ぼうとしてくれたものの、葉っぱちゃんはパパを拒否!!
泣かれ、手で押しやられ、夫はため息をついて寝室へ行ってしまいました。
リビングで一人になった葉っぱちゃん。
私はホッとしました。
怒った顔を見るだけで、緊張するから。
葉っぱちゃんはようやく一人で遊びだし、私はフルスピードで夕飯を仕上げました。
そして、みんなで夕飯を囲みます。
私と葉っぱちゃんで賑やかに食べ、夫は黙ってあっという間に完食。
葉っぱちゃんは食事に段々飽きて、嫌がったり遊び食べをし始め。
散らかすし、夫は舌打ちするし、私は早目に夕飯を切り上げました。
夫のイライラをこれ以上酷くしたくなかったから。
満腹になった葉っぱちゃんは機嫌良く遊んでいたので、私はまたフルスピードで夕飯の後片付けを始めました。
リビングには夫と葉っぱちゃん。
夫はテレビをつけて見てて、葉っぱちゃんは遊んでて。
私は食器を洗い終わったタイミングで、葉っぱちゃんに飲ませる薬を準備していました。
風邪薬。
いつものようにリビングに行こうとして……
迷いました。
怒りを溜めている夫の近くに行きたくない。
だから、「葉っぱちゃん、お薬飲もうねー」と抱っこして、ベビーゲートを跨いで、キッチンの中に連れていきました。
我が家のキッチンの中には、赤い椅子が置いてあります。
以前実家で使ってて、すごく気に入ってる椅子なので、新婚の時に持ってきたのです。
普段赤い椅子は、料理の途中に座って休憩したり、高い棚の上の物を取る時に使っていました。
その椅子に葉っぱちゃんを座らせました。
葉っぱちゃんは嬉しそうに座った姿勢のままょんぴょん跳び跳ねました。
「楽しいね~
」

かわいくて、そんな言葉を掛けながら、薬を飲ませ終わり、薬の器を置いた時でした。
ガターーン!!
大きな音を立てて、葉っぱちゃんが椅子から落ちてしまったのです。
私は慌てて葉っぱちゃんを抱き起こしました。
ワーーーンと大声で泣く葉っぱちゃん。
抱っこしながら、頭に怪我がないか確認して、「ごめんね、ごめんね、痛かったね」と葉っぱちゃんに謝りました。
「痛いに決まってるやろが!お前は何をしてるんだ!!」
突然夫の怒鳴り声が響きました。
私はあまりの大声にビクッとし、葉っぱちゃんをあやしながら、「ごめんなさい」と謝りました。
「ごめんなさいで済むか!葉っぱちゃんになんて酷いことをするんだ!お前は母親失格だ!くそが!」
涙が溢れました。
私は罪悪感で一杯で、私の腕の中で泣く葉っぱちゃんに何度も謝りました。
夫にも謝りましたが、夫は怒鳴り続けました。
「何でそんな所で薬を飲ませてるんだ?危ないということが何でわからない?危機管理がなってなさすぎる!お前はいつもそうだ!お前なんかに子育てできるはずがない!」
私は夫の罵詈雑言を浴び続けながら、罪悪感と悔しさで涙が溢れました。
だって……椅子の上で薬を飲ませたのは、あなたがリビングで怒りを撒き散らかしてるから。
危ないことなんて、わかってた。
それに、私が母親失格なら、あなたはどうなの?
父親として、そんなに立派なの!?
でも、言えなかった。
実際に危機管理がなってなかったから、こうなってる。
怪我がなかったから良かったけど、もしも……
だって、普通のサイズの椅子の上から落ちて、頭を打ってる!
時間を戻したい……
ごめんなさい……
その後のことは、覚えていません。
どうやってこのトラブルを乗り越えたのか。
でも、この一連の流れはよく覚えてる。
怒鳴る夫の顔。
赤いギンガムチェックの服を着た葉っぱちゃんが、椅子の上でピョンピョン跳ねてケタケタ笑ってる姿。
椅子から落ちて泣き叫ぶ姿……
あれからもう7年。
忘れたい。
でも、忘れられないのです。
心臓に刻み込まれてる。
傷口を抉っている、と感じるけれど、何度も思い出します。
母親失格、は単なる悪口ではないと、反芻する中で気づきました。
今まで子育てを頑張ってきた私の全てを否定する言葉。私なりに頑張ってきた。でも……全て母親として失格なんだ……。
母親を頑張っても、褒められないし、認めてもらえない。
完璧でなければ失格。
夫はそういう基準なのでしょうか?
きっと、あの後、夫は言いすぎたと謝ってくれたのだと思います。
いつも夫は怒鳴った後、頭が冷えたら謝るのです。
でも、その場面は全く思い出せません。
夫は何て言ってくれたんだろう?
仲直りしてるはずだから、きっと優しい言葉をくれたはず。
その言葉こそ、覚えておきたかったなぁ……
今度は、書き残しておこう。
「母親失格」と言われた傷は、まだ癒えてないんだと思います。
心の中では今でも、「あのとき私が悪かった。だから、あんなことを言われても仕方なかった」
という考えが繰り返されてて。
でも「父親失格って言ってやれば良かった」と思うどす黒い感情も潜んでて。
矛盾してますね。
でも、悔やむ気持ちの方が大きい。
私の非は、どうしてもあるから。
ただ、反省することと、自分の価値を否定することは違う。
あの出来事は、 「危険な椅子に座らせてしまった」という失敗であって、 「私が母親として失格だった」という証拠ではないはず。
そして、葉っぱちゃんの転落そのものよりも、一番信頼したかった相手から人格を否定された痛みのほうが、心に深い傷として残っているのだと思います。
信頼関係って、怖いですね。
こんなに深い傷を与えることができる。
私は、私自身を信頼してあげたいと思います。
だから信頼してもらえる自分でありたい。
そして、言ってあげたい。
「あの時は、確かに失敗した。でも、失格じゃないよ。怖かったね。葉っぱちゃんも泣いてしまって、自分を責めただろうね。でも、まずは葉っぱちゃんを抱きしめて、『次は気をつけよう』と思えたなら、それで十分だよ。あなたを『失格』と決めつける必要はないよ。」
信頼できる人にそう言ってもらえたら、少しずつ、傷が癒えていくよね。