小説「GJKJQ」 佐藤究(著)
第一刷発行 2016 8月8日
第62回江戸川乱歩賞受賞作
本屋に平置きしてあったので手に取って見たら、
帯には「私の家族は全員、猟奇殺人鬼」
「人殺しの父親をナイフで脅すのはね、反抗じゃなくって、正義っていうのよ」
と書かれていたので、人殺し一家の話かと思いきや、それが違う。
少女の妄想、真実、実際に人殺しを犯した犯人、脳の働き、
そして誰もが持っているであろう殺人への興味を描いた作品である。
私が一番興味をそそられたワードは
「ダムナティオ・メモリアエ」
…
"記憶の破壊"
"罪をつぐなう罰を受けて記憶されるのではなく、完全に消えることで罰せられる。なかったことに。"(本文引用)
「ダムナティオ・メモリアエ」とは、古代ローマ時代、元老院がその支配体制へ反逆した人物に対して行った措置のことで、究極の刑として存在していた。
この刑に処された皇帝は、硬貨から名前が消され、像は破壊され、人物の存在自体なかったことにされた。
この小説の中には、二つの「ダムナティオ・メモリアエ」が描かれている。
ひとつは、全身の血をチューブで抜きながら、そのチューブの先を相手の口に繋ぎ、
自分が生きてきた証である己の血で、喉や肺をつまらせて死に至らせる殺し方。
もうひとつは、犯人を突き止めた相手の記憶をコントロールして、まるで被害者がそこに存在していなかったように、記憶を塗り替える。
後者の記憶のコントロールは少女の思い違いだったのだが、
「ダムナティオ・メモリアエ」とは残酷なものである。
一般的に罪を犯したものは、騒がれ吊るし上げられ処罰されるのに対し、
自分が今まで生きてきた経過や結果、存在全てを失われるのだ。
例えば、体内に病気の血を流し込んで長い時間をかけて殺すとか、
生きたまま切断するとか、薬品で体を徐々に溶かしていくとか、
手足を引っ張って裂くとか、食べてしまうとか、
サイコ映画やスプラッター映画で一度は観たことがある殺し方だ。
だけれど、「ダムナティオ・メモリアエ」は、そのどれよりも美しい殺し方だと思う。
”父は犠牲者の血を抜く。自由をうばった相手の腕に針を射し、透明なチューブをつなぐ。ポンプは電動だ。恐ろしいことに透明なチューブの先は、犠牲者の口に突っこ込まれている。そこから自分の血を強制的に飲ませられる。”
”猟奇性、残虐さといった見方から判断すれば、たぶん父のスタイルがいちばん優雅(エレガント)なんだ。なぜって、人間性を否定しているから。”
私はとてもカニバリズムに興味があるので、
ターゲットを動けないように固定して、足のつま先から少しずつ肉をカットして、相手自身に食べさせ続けて殺すなんて、興味深いと思ったり。
この場合なにがきっかけで死に至るのだろうか…
飲み込めなくて消化できなくて窒息死なのか、内臓が損傷したりするのか、
お尻辺りまで到達した時点で、排泄物も出しようがなくなってしまうだろうし、
殺しにかける時間で死因は違ったものになるような気もする。
麗庭リリ
HP http://reibariri.jimdo.com/
twitter @reibariri
「QJKJQ」 佐藤究(著)
あらすじ
市野亜李亜(いちのありあ)は十七歳の女子高生。猟奇殺人鬼の一家で育ち、彼女自身もスタッグナイフで人を刺し殺す。猟奇殺人の秘密を共有しながら一家はひっそりと暮らしていたが、ある日、亜李亜は部屋で惨殺された兄を発見する。その直後、母の姿も消える。亜李亜は残った父に疑いの目を向けるが、一家には更なる秘密があった。